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あとがき

あとがき

 昭和47年11月、両眼手術しました。1ヶ月あまりの入院生活の後、退院しましたが、視力はもとのようにまで回復しませんでした。その後、通院して治療を続けていますが、年とともに視力は落ちていき、はや一人歩きも困難な状態になりました。

 そうした私に代わって、道を求める人々の何らかの手引きになってほしいとの念願のもとに、”輝くシリーズ三部作”を思い立ち、着手したのは、昭和54年9月でした。”輝くいのち””輝く讃歌”もおかげで出版の日の目を見ることができました。第三部”輝く言葉-歎異抄の心-”の執筆にかかったのは、昭和56年10月中旬でした。

 今まで手足となって協力してくれた家内が少々健康を害し、今までのように協力を得ることができなくなりました。けれども、輝くシリーズの三部完成の意欲は抑えることができず、たまたま昭和56年10月秋季永代経の不況に見えた高木良章師の布教の合間の手を借りて執筆に着手したことも、懐かしい思い出であります。

 その後、歎異抄会員の小原絹子さんが、家事の暇を見て鹿児島市から加勢に見えましたが、出産が近づいたために来られなくなり、変わって同じ歎異抄会員の馬場トミ子さんが、忙しい火事の暇を見ては、同じ鹿児島市から加勢に来ていただきました。

 けれども1月2月は門徒の報恩講、法事に忙殺されて、なかなか思うように原稿がはかどらず、それでも牛の歩みのように執筆を続けていきました。

 3月に入り、もと仏青会員で結婚して在阪中の大富(旧姓増田)雅子さんが20日あまり田舎に帰って来られたので、その加勢を得てふたたび現行もはかどるようになりました。家内もできるだけ余暇を見て加勢し、私の甥の加藤信行君、信照君も忙しい中、暇をみては手伝いに加わり、ようやく書き上げることができたことは感無量のものがあります。また孫の小学五年のさや子も、たどたどしい口調で歎異抄の本文を懸命にテープに吹き込んでくれたことも、忘れ得ぬ思い出であります。

 こうした状態の中で、自坊の法務に携わりながら、また月に数ケ寺の常例講座を担当しつつ、”輝くシリーズ三部作”の完成を見たことは、仏祖の加護はもちろん、私を取り囲む恩師、法友、同心同朋の皆様方の温かい協力の賜と深く感謝申しあげます。

 なお今回は永年の恩師である、行信教校校長利井興弘先生に公私多忙の中序分の玉稿を頂いたこと、また梯先生のいつに変わらぬご配慮、ご指導並びに永田文昌堂店主のご協力、深く感謝申し上げます。

 失明に近い状態のため、先師、先輩方の指導書に目を通すこともかなわず、独断と誤りの点も多々あることを恐れますが、読者の皆様方には、私の胃のあるところをお察しお汲みとり頂いて、御法義相続の一助にして頂ければこよなき幸せと存じます。三年の足跡を振り返るとき

  命あり 今日も恵みの 旅を行く

の感をひとしお深く致します。

 『輝くいのち』は光真門主の伝灯報告法要、『輝く讃歌』は行信教校創立百周年、国際障害者年、『輝く言葉』は生起の鹿児島別院本堂落成とそれぞれ記念すべき年に当たることも奇しき縁と有り難く感ずる次第です。

 なお第三部輝くシリーズ簡潔に当たりまして、同心同行の法友の皆様から、身に過ぎた言葉を寄せて頂きましたことを心からお礼申し上げます。

 この書の校正に当たって行信教校の学生有志の方々が協力して頂いたことを付記し感謝の意を表します。

1982年(昭和57年)9月
南薩精舎にて
空華末弟 賞雅 哲然

輝くシリーズ完結に寄せて:梯實圓

 賞雅哲然法兄にはじめてであったのは、昭和22年4月のことでした。そのころは野村さんといい、行信教校の寮の幹事をしておられ、私は新入りの寮生としていろいろと寮内の生活指導をしていただいたものでした。

 そのころ既に眼を病んでおられたが、病状は進むばかりで、近年はほとんど失明の状態になっておられます。その不自由な身にまるでむち打つようにして30数年間、伝道、教化ににいそしんでこられた姿には、ほんとうに頭のさがる思いがしました。そんななかで「耀くいのち」「耀く讃歌」「耀く言葉」の三部作をつぎつぎと完成されたわけですが、その珠玉のような法話集は「分陀利華」(白蓮華)をおもわせるものがあります。

 泥沼に美しく咲きにおう白蓮華は、しかしその根のところで、汚泥と戦い続けているにちがいありません。一つまちがえば根をくさらしてしまうほどの強い力をもつ汚泥とたゆみなく戦い続け、それを逆に自身の養分に転化していく強靱な蓮根のエネルギーがあってはじめてあの美しい白蓮華が開くのです。華が美しければ美しいほど、誰にも見えないところで行われている汚泥と蓮根の戦いは激しかったはずです。

 失明という重荷をせおいながら、不思議な明るさにみちたこの文字通り「耀く法話集」を完成していかれた法兄のたゆみなき精進を湛えると同時に、それにもまして法兄の活動をあらしめている如来の本願の力の偉大さを讃仰せずにおれません。

 そしてまた法兄の目となり、手となって、原稿を書き、校正をしてこられた御令室や関係者の方々の陰のご苦労に深甚の敬意を表します。

  大阪教区高台寺住職
  行信教校教授 梯 實圓 

輝くシリーズ完結に寄せて:大内察爾

 激動する生活の環境や人間の生きる条件の中から、無数の宗教の興っている現代「日本人は宗教を造る天才である」という一語をもって、日本人の宗教に対する意識の浅さが評価されても無理からぬ現実であります。事実大衆はこうした宗教のために迷わされているのではないでしょうか。

 このたび賞雅哲然先生の「輝くいのち」「輝く讃歌=正信偈を仰ぐ」に続いて「歎異抄」のお味いをおまとめご出版くださったことは、この世相の中に真実のおみのりに遇い、聞法のご縁を深めさせて頂くために、この上ないよろこびであります。

 さきごろ第一部、二部の発刊を見るや有縁の御同行はもとより、これを聞き及ぶ数々の人々が、競って之を求めて味読を続けておることはご承知の通りであります。

 先生の60余年の生涯求道の足跡は、これらの「書」にいのちとなって燃焼し、書中の行間に尊い体温となって私たち読む物の心をつつむ思いであります。

 しかも視神経の病により失明に近い御体でこのことを成し遂げられた信念、情熱と困苦を偲ぶとき、更に奥様はじめ周囲の人々の涙ぐましいお力添えの賜と聞くとき、また粛然たらざるえを得ません。先生の多年の願望であった「歎異抄」の発刊をもっていよいよ三部完結されることは。洵に時を得、心から感謝に耐えません。また同信有縁のよろこびを思うとき、永く混迷の世を照らす灯となることを信ずるものであります。
 
  鹿児島別院輪番  大内 察爾

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