真宗通解:『十住毘婆沙論』
第一篇 解題
目次
第一篇 解題
第一章 題号
第二章 撰者
第三章 造意
第四章 組織
第五章 大意
第二篇 本文
第一章 易行道の試問
第二章 易行道の解答(その一 略答)
第三章 易行道の解答(その二 広答)
第一節 十方十仏の易行道
第一項 偈説
第二項 散説
一 概説
二 引証
三 各説
第三項 重頌
余義
一、無量明仏論
二、海徳如来論
第二節 一百七仏の易行道
余義
一、無量寿仏論
第三節 弥陀一仏の易行道
余義
一、弥陀仏偈論
二、現生不退論
三、称名報恩論
第四節 過去八仏の易行道
第五節 東方八仏の易行道
第六節 三世諸仏の易行道
第七節 諸大菩薩の易行道
以上
第一章 題号
十住毘婆沙論 巻第五
今からおよそ二千四百年前、釈迦牟尼世尊が、菩提道場において初めて正覚を開かれたとき、ちょうど秋の澄み渡った夜に、天上の月や星が波静かな大海原にうつったように、天地の森羅万象が一時にはっきりと釈尊の御心の海に浮かび顕れたということである。
『大方広仏華厳経』はまさにこの時の法味をあらわされたもので、即ち、釈尊の成道第一に入らせられた海印三昧に映った天地の霊相を文字に写したものである。そしてこの経の一編たる『十地品』は菩薩に十信、十住、十行、十廻向、十地、等覚、妙覚の五十二段ある階級の第四十一位より五十位までの十地の階級に関することを説明したものである。
龍樹菩薩はこの『十地品』の初地二地を解釈せんがために『十住毘婆沙論』十五巻をお作りになられた。編を分かつこと三十五品、その第九品『易行品』には、有名な難易二道判を設けて、諸仏菩薩に易行道あることを説き、特に弥陀一仏の易行道を詳しく述べて、弥陀他力の大道を宣揚されたのである。されば、この一品はまさに私どもの進むべき人間道の指示であり、向上道の羅針盤であることを忘れてはいけない。
【余義】
一 『十住毘婆沙論』は、法然聖人の『選択集』の教相章には傍明浄土教の書といって、正面から浄土の教えを説いた書ではないといっておられる。この論を傍明(ぼうみょう)浄土教の書とするのは当然のことで、もともとこの『十住論』は『華厳経』の『十地品』を解釈した書であって、この論の主眼とするところは自力修行の十地の階級を説き明かすことである。このなかに傍ら、浄土往生を勧める語(ことば)があるだけのことであるから、勿論傍明浄土教の書である。
しかるに親鸞聖人は『行巻』などに、これを正明浄土教の書として重用しておられる。どうして聖人はこれを正明(しょうみょう)浄土教の書とご覧になるかというと、聖人は龍樹菩薩の中心に参して、この論を作られた本意は、ただ十地の義を明らかにするためではなくて、他力易往の念仏を示すためであるということを悟られたからである。それであるからこの『十地論』は能詮(あらわして)の言教(ことば)からみれば傍明浄土教の書であるが、所詮の義理から見れば、正明浄土教の書と言わねばならない。
それならばどうして、龍樹菩薩の御心を得れば、この『十住論』が他力易往の念仏を示すための書とうかがわれるのであろうか。曰く、それは龍樹菩薩のゆきつまりになった信仰からみてゆくので、龍樹菩薩の晩年の最後の著書は『十二礼』である。この『十二礼』は全く阿弥陀如来の他力本願を信ずる菩薩自身の信仰を告白し給うた書である。
してみると龍樹菩薩の最後の信仰は全く阿弥陀如来の本願にあったので、このことを知って、『十住論』を見、なおすすんで『智度論』をみれば、龍樹菩薩の真意がどの辺にあったかということが明らかに知れるのである。いわんや『十住論』のなかには『易行品』の一品があって、明らかに阿弥陀如来の本願を説いてあるのであるから、『十住論』一部は、菩薩の真意を探れば、阿弥陀仏の浄土を讃歎し、念仏を勧めた舞うより外はないことが頷かれるのである。
第二章 選者
聖者龍樹造
後秦亀茲国三蔵鳩摩羅什訳
釈尊の入滅後五百年の間は、いわゆる上座部仏教の盛んな時代であったから、大乗の浄土教は甚だ振るわなかったようである。しかしその間にも目?蓮の作といわれている『阿毘達磨法蘊足論』や、上座部異部の書物の中に浄土思想のほのめきが見える。そののち大乗仏教第一期の代表者であるところの馬鳴(紀元1世紀)に至って『大乗起信論』のなかに、阿弥陀仏の摂護をうけて西方浄土に往生することが明らかに記されている。くだって釈尊入滅後より七百年ほどを隔てて、龍樹菩薩が世にお生まれになった。
【龍樹菩薩の伝記】
龍樹、龍猛(りゅうみょう)とも龍勝(りゅうしょう)ともいう。南インドの人、幼にして聡明、早く既に当時行われていた一切の学問に通じておられた。はじめは、人生の楽しみは情欲の満足にあると信じて、三人の友達と酒色に耽り、密かに土地の王の宮城に入って不道徳を擅(ほしいまま)にしておられたが、こと遂に発覚して、三人の友達は王宮において殺された。それがために翻然五欲の夢から醒め、欲は苦の本であることを悟り、『無我論』の著者、迦毘摩羅(かびまら)について上座部仏教を学び、後、霊山(ヒマヤラサン)に入って、ある老僧から大乗の教えを聞き、また大龍菩薩から『華厳経』等の経文を授かり、はじめて如来の御心に徹して、遂に歓喜地の位をさとられた。
【破邪顕正】
それからというもの、内に燃えるが如き歓喜と勇気を懐いて、外に専ら大乗教の宣伝に努められた。即ち一方には破邪の剣をかざして外道及び上座部の有無の邪見を破り、一方には顕正の旗をたてて如来他力のおぼしめしをあらわし、自ら西方浄土の往生を願い、また人にもこれを勧められた。
【『中論』『十二門論』】
これを著書の上から窺えば、『中論』四巻、『十二門論』一巻は、まさに菩薩の破邪的、消極的指導の旨を述べられたものである。「世間には外道、上座部の輩があって、宇宙の万有はみな常住不変のものである、したがって人は死して再び人に生まれるというものがある、これは有の見である。また世界の万物は、その実際は何もないもので全く虚無である、したがって人はひとたび死すれば、無に帰して残るものはさらにないと主張するものがある、これは無の見である。
しかしながら、この二通りの見解は、ともに間違っている。そもそも万物は因縁の法、即ち原因結果の法則によってできている。因縁結べばでき、因縁解くれば消えるのが万物の実相ではないか。したがって万物はこの因縁によって変化するではないか。然るに、変化は何もないところに行われるべきものではない。変化ある以上は、変化する万物の存在を許さなければならない。すでに万物は存在する、故に無ということはできないではないか。また万物は変化する、したがって常住不変の性質があるということもできないではないか。即ち万物は、常住不変の有でもなく、虚無皆空の無でもない。因縁によって有り、因縁によって無き、不思議なものである。
【中道】
有無の二見を絶った中道のものであるといわねばならない。已に万物は因縁によって有るところの変化物である。したがって、人間の自ら造る因縁によって死し、自ら造る因縁によって、いろいろに生を変えねばならない。いわゆる輪廻転生なるものは、人間各自が逃れることのできない業報である、然るに、我らは、日常のいかなる因縁を造りつつあるか。それらはみな、迷い、罪、堕落の因縁ばかりではないか。恐るべきは我らの生死問題である。菩薩は『十住毘婆沙論』の巻頭に、このありさまを述べられる。
「地獄、畜生、餓鬼、人、天、阿修羅の六趣は、険難恐怖大畏あり。この衆生、生死の大海に旋流徊復し、業に随って往来す。(中略)諸結煩悩、有漏の業風、鼓扇して定まらず。諸々の四?倒に欺誑せられ、愚癡無明の黒闇にあり。愛に随える凡夫、無始よりこのかた常に其の中に行じ、生死の大海を往来して、未だかって彼岸に到ることを得ず」。
と。そして、この生死の大海を渡り越える道を述べるために造られたのが、この論十七巻及び『大智度論』百巻である。ことに『十住毘婆沙論』の第五編たる『易行品』においては、仏法に無量の法門があるけれども、これを難行道と易行道に分けることができる、その易行道とは、阿弥陀如来の無量力功徳を念ずるにありと説いて、いわゆる大乗無上の法を宣説された。
『十二礼』には、この阿弥陀如来の無量力功徳を讃めたたえた偈頌を収められた。そして菩薩の最後は、あまりに道を広められたために、異教徒の憎むところとなり、南インドのコーサーラの都で殺されたというとのようであるが確かではない。
第三章 造意
『易行品』の造意 一
『十住毘婆沙論』十五巻、ことにその第九『易行品』は、龍樹菩薩が自力聖道門から他力浄土門へ帰入された心的過程の記録である。もとより今から千七百年も以前の書物であって、ことにインドという詩情の勝った民族から生まれた讃歌的記述であるから、趣意従容として理解に苦しむ感がないとは言えない。けれども、静かにこれを味わっていると、中に尽きない甘露水が湧くのである。
元来、文字の内容が詮(あらわ)れるかどうかは、全く読者その人の眼光に比例する。私たちひとたび人類の厳粛(まこと)の味わいに触れ、如来の信の歓喜を以て聖教に対するときは、昔の幼稚な表現法によって書かれた文字にも、日にあらたにして日々にあらたなる生命の泉を汲むことができる。それゆえ、書に対するには、先ず謹厳な信仰的開眼が必要である。別して龍樹菩薩の著書に対するときは、この用意周到なることを要するのである。
先に『十住論』は菩薩が他力帰入の心的過程を記述されたものであるといった。今それについて述べよう。
『十住論』の巻頭に、菩薩は先ず私たちの恐るべき生死問題を挙げられ、「六道の衆生は煩悩業苦の三道流転によって無始以来生死の大海に往来しているから、この常没常流転の凡夫のために菩薩の十地の義を述べようと思う」と、『十住論』一部の造意を示しておられる。大体、大乗の法門は菩薩でなくては聞くことのできない甚深の教えである。それ故『華厳経』の説法のときは舎利弗・目連のような聖者でも、まだ菩薩の位でなかったから、理解することができなかったのである。
しかるに、ただ『十地品』のみはその他の諸品と違って、菩薩ならざる衆生を菩薩道に誘い入れんがために、低きより高きに、浅きより深きに、順を追い序を重ねて丁寧懇切に分かり易く説明されたものである。それゆえ、菩薩はこの一品の註解を書き、生死の苦海に沈んでいる凡夫地に向かって向上の一道を示されたものである。そして、これやがて菩薩自らの実体験の表白なのである。
かように云ってくるとき、この『十住論』は、これ菩薩一個について云えばご自身の心的過程の表白のために造られたものであり、また対他的に云えば、凡夫地のものに向上の一道を示さんがために作られたものである。
然るになお一歩進んで云えば、この『十住論』の中心は『易行品』であり、『易行品』の中心は弥陀念仏にあるのであるから、菩薩一論の造意は、全く弥陀念仏の讃仰と弘通の為であるといわねばならない。そこで親鸞聖人は
本師龍樹菩薩は
『智度』『十住毘婆沙』等
つくりておほく西をほめ
すゝめて念仏せしめたり p578
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめる我等をば
弥陀弘誓の船のみぞ
乗せてかならずわたしける p579
と讃詠された。この「生死の苦海ほとりなし、久しく沈める我等」とは、『十住論序品』「愛にしたがへる凡夫、無始よりこのかた常に其の中(うち)に行じ、生死の大海に往来して、未だかつて彼岸にいたることを得ず」の文意であり、「弥陀弘誓の船のみぞ、のせて必ずわたしける」とは同じく『易行品』弥陀章の、
彼の八道の船に乗じて能く難度海を渡る。自ら渡りまた彼を渡す。
の文意である。かように、『十住論』の「序品」の文意と『易行品』の弥陀章の文意によって一首の和讃を造られたのは、全く『十住論』の中心が弥陀他力教にあることを暗示しているのである。したがって『十住論』特にその『易行品』は、ひとえに弥陀他力教を示すために造られたことが断定される。
【難易二道論:其の一】:二道判の由来 二。
次に注意すべきことは、龍樹菩薩は、何故一代諸経のうちから、特に『華厳経』の『十地品』によって難易二道の教相判釈(釈尊一代の説教を種々に区分けして、自分に適応する教えを選び取ること)を設けられたか。即ち何のお経に依せられても然るべきであるが、特に『十地品』に依せられたのは、どういうお考えがあられたのかということである。これは『十住論』の内容から見た造意問題である。
大体、大乗仏教では依経分宗(えきょうぶんしゅう)といって、自分の奉ずべき宗旨を分けることは、みな経典によってするのである。例えば天台宗は『法華経』、法相宗は『解深密経』、華厳宗は『華厳教』によって宗を立て教えを判(わ)けている。
それで龍樹菩薩が難易二道判を設けて、阿弥陀仏の他力易行を宣揚するにあたっても、やはり何経かを本拠(よりどころ)とされねばならない。然るに阿弥陀他力の大行を宣揚するに最も適切な経文は、いうまでもなく浄土の三部経である。それにもかかわらず、菩薩はこの三部経に依らずして『十地品』に依りたまえるのはどういう理由であろうか。これには以下の二由があるのである。
(1)『華厳経』は釈尊が正覚をひらかれてからの最初第一の説教であって、しかも傍明往生浄土の経文である。それゆえ、菩薩はことさらこの経によって易行道を顕されるのである。
もっとも、これは、正明往生浄土の経である浄土三部経によって説述されたほうが便利なようにも考えられるが、決してそうではない。なぜかというと浄土三部経はあまりにも専門的に浄土教ばかりが述べてあるから、このお経では聖道門難行の趣を詳しく知ることがむづかしい。また『華厳経』以外のお経に依るときは、聖道難行の方面は詳しく知ることができるけれども、浄土易行の相(すがた)がはっきりしない。しかるに『華厳経』は難行・易行の両端を兼ね摂めている。それゆえ二道判をするにはこのお経に依るのがもっとも便利である。彼の『法華経』の如きも往生浄土の相(すがた)を説いてあるから、彼の経でもよいではないかという疑問が生ずるけれども、『法華経』の浄土往生説は極めて簡略である。しかるに『華厳経』にはその「入法界品」に、
「願はくば我命終せんとする時に臨み、尽く一切の諸障礙を除き、面(まのあた)り彼の仏阿弥陀を見たてまつり、すなはち安楽刹に往生することを得ん」。
とも、また
「普く沈溺の諸衆生をして、速やかに無量光仏刹に往かしめんと願う」。
ともあって、往生浄土の思想が盛んに顕れている。上の文は普賢菩薩が善財童子を相手として述べられた菩薩自らの行願であるが、要するに、『華厳経』においては、西方往生の易行道をもって自行化他とする思想が明らかにあらわれているから、これによって難易二道の判釈を設けることは極めて便利である。これを龍樹菩薩が一代経中、殊に『華厳経』によられた一理である。
(2)『華厳経』は釈尊成道第一の説法であり一代諸経の本源である。それゆえ賢首大師法蔵はこれを称性(しょうしょう)の本経(ほんぎょう)と名づけ、他経を逐機(ちくき)の末経(まつきょう)といっておられる。また嘉祥大師(吉蔵)はこれを根本法輪(こんぽんほうりん)と名づけ、他経を枝末法輪(しまつほうりん)と呼ばれた。
しかもこの『華厳経』には此土入聖得果の聖道門自力難行の教えと、他土得証の浄土門他力易行の教えが並び説かれている。それゆえ、その後に起こる釈尊一代五十年の間の教えは、この『華厳経』における聖浄二門の流露したものといってよい。
もっとものちのお経は、ただ、聖道難行ばかりを説かれたものがあり、あるいはただ浄土易行ばかりを説かれたものもある。しかし、その本源である『華厳経』には聖浄二門の二龍互いに頭を上げて、これより一代説法の霊水を吹き、風雲を起こそうとするおもむきがあるのである。かような根本的な経典によって難易二道を判別すること、しかも難行道から易行道へ移りゆくことを勧められることは、もっとも当を得たものといわねばならない。
なほ、『華厳経』において往生浄土思想のもっとも明らかにあらわれたところは、終わりの『入法界品』である。それゆえ、龍樹菩薩もこの品によって難易二道判を立てられるべき筈のように思われる。然るに、却って『十地品』の初歓喜地を明かすところにおいて述べられてのは何故かというと、龍樹菩薩はすでに自ら初歓喜地に証入された方であるから、ご自身の実体験によって、この歓喜地に入るにも難行あり易行あることを述べられたのである。
冷暖自ら知ったものを文字に発表する時は、文字そのものに力が籠もって生きて動く。歓喜地を証して、難行道の苦しい陸路と、易行道の楽しき乗船との味わいを、身をもって自ら経験された菩薩の記述なればこそ、一千七百年後の今日に至るまで追慕謹読されるのである。
何ものでもそうであるが、殊に宗教上の発表(説教でも文書でも)は自らの体験であらねばならない。自らの実証の声は、いかにもその発表術が素人(へた)であろうとも、人を動かし世を感じさせる力が籠もっている。なんと力強いことか、自己体験の文字の力よ。それにしても近年はあまりにこの種のものに接しないこと久しいことである。
第四章 組織
一「十住論の組織」
『易行品』一編の組織を示す前に、『十住論』三十五編の大体の組み立てを述べよう。そうすれば、『十住論』と、この『易行品』の関係がはっきりするであろう。
┌ 総述 ─────────────────序品第一
│ ┌ 所入の階位────── 入初地品等三品
├ 初地 ───┤ ┌ 釈願品第五
『十住論』─┤ 第二品以下 │ ┌ 難行┼ 菩提心品第六
三十五品 │ 第二十七品まで├ 能入の修行─┤ ├ 調伏品第七
│ │ │ └ 阿惟越致品第八
│ │ └ 易行─ 易行品第九
│ └──────────── 第十以下
└ 二地 第二十八品以下三十五品まで
これによって見るときは『十住論』の第二品以下に於いて菩薩の初歓喜地を述べるもの二十六品あるなか、第二第三第四の三品は所入の位、即ち歓喜地そのものの内容を説明したものであり、第五品以下は能入の修行、即ち歓喜地に入るための必要な修行のありさまを説明されたものである。そしてこの修行に自力難行と他力易行があるから、第九品『易行品』はまさしくその易行道を説き示されたものである。
二『易行品』の組織。
次に、その『易行品』の組織はどうなのか図示して細述すると、
┌ (一)易行道の質問
├ (二)易行道の解答(その一略答)
│ ┌偈説 ┌概説
│ ┌─十方十仏章 ───┼散説─┼引証
│ ├─一百七仏章 └重頌 └各説
│ ├─弥陀一仏章
└(三)易行道の解答(その二広答). ┼─過未八仏章
├─東方八仏章
├─三世諸仏章
└─諸大菩薩章
先ず最初の第一段に、菩薩が不退位に入る門に難行道があることを示し、こに道には種々の障害があるから、他に易行の道があれば教え給えと質問を起こし、その問いに答えて易行道を詳述されるのである。
その解答が第二第三の二段に分かれて、第二段は略答である。難行道は大人賢者の進むべき道であるが、易行道は小人愚者の辿るべき道であると貶(おとし)め、その易行道は信心の因縁を眼目とする由を暗示された。
第三段は、広く易行道の相を述べられるものであるが、これがまた七章に分かれている。まづ十方十仏の易行を明らかにし、第二に一百七仏の易行をあげ、第三に弥陀一仏の易行を示し、第四以下また余仏余菩薩の易行を出されるのである。
第五章 大意
一 大意の二義
まず、この大意ということには、二通りの意味がある。
一は文々句々を委しく解釈せず、略して文句の意をおおまかに解釈することを大意という。蓮如上人が金森の道西の請いにより、『正信偈』の文々句々を和げて、ざっと解釈を下し『正信偈大意』と名づけて授けられたことがある。この大意という意味の如きは、正しくその例である。
二は文々句々に拘わらず一部所詮の義理を概括して示すもの、即ち一部の書物の全体に通じた要領をひきつかんで示すものを大意という。古来この大意の意味を解釈して、嚢括始終(のうかつしじゅう)冠戴初後(かんたいしょご)と言っている。一部の始終を嚢括(ひっくるめる)して初めから後までの義理を冠戴(ぬきあげ)するというこころである。この例は、宗祖聖人が『教巻』に『大無量寿経』の大意を示して、
「この経の大意は、弥陀誓いを超発して広く法蔵を開き、凡小を哀れみて選んで功徳の宝を施すことを致す。釈迦世に出興して道教を光闡して群萌をすくひ、惠に真実の利を以てせんと欲してなり」。p135
と述べられた如きは、まさしくこれである。
ところで、今ここに『易行品』の大意は何であるかということを述べるときの大意は、いわゆる第二の意味であって、即ちこの『易行品』一部始終にわたって、一品全体が詮(あらわ)すところの義理を一口で云えばどうなるかということを尋ねるのである。
二 『易行品』の大意
一部の大意は阿弥陀仏の他力易行道を明かにすることにある。そもそも、題は一部の総標ともいって。書物の題号は多くその書全体の要領を標したものであるから、一部の書物の大意を知ろうとするには、まづ近くその書題を見るべきである。然るに、今の題号には『易行品』と云っておられる。それゆえ、この一部は難行道に対して易行道を詮(あらわ)すことを目的としている。ところで、この易行道には諸仏の易行道もあれば、阿弥陀仏の易行道もある。そのうち今は特に阿弥陀仏の易行を詮すことを大意とするのである。
三 『易行品』の帰趣 :理綱院講師の説
その前に、まず『易行品』の文勢を飲み込んでおく必要がある。大体この一品には十方十仏の易行以下、七章に分かって諸仏菩薩の易行を述べてあるが、その要をとっていえば、十方十仏章、一百七仏章、弥陀一仏章、余仏菩薩章の四章につづめることができる。然るに、この四章の文勢を窺うに、各章は弥陀一仏章を中心として設けられたことに気づかされる。これを理綱院講師(理綱院慧琳(1765年 - 1789年)は天台宗のいわゆる蓮華の三喩によって説明しておられる。
┌─十方十仏章・・・・・・・・・・為蓮故華─┐
├─一百七仏章・・・・・・・・・・華開蓮現─┼─ 蓮華三喩
├─弥陀一仏章・・・・・・・・・・華落蓮成─┘
└─余仏菩薩章
第一、十方十仏章は為蓮故華の義にあたる。華(はなびら)は蓮の実のために用意されたもので、華そのものだけでは何の用もないのである。然るに、華(はなびら)の開かぬ莟(つぼ)みころから、蓮の実のために華が用意されている。今もそれと同じように、十方十仏が易行を説かれるのは、その目的は弥陀一仏の易行を説き広めるためであった。即ち十方十仏の華(はなびら)は全く弥陀一仏の易行の蓮の実を含めるためであった。然るに、莟(つぼ)みのあいだは蓮の実があらわれないように、未だ誘引されるべきものの根機が整わないから、初めより弥陀一仏の蓮の実をあらわさず、十方十仏という華(はなびら)の莟みにふくめて示されたのがこの一章である。
第二、一百一仏章は華開蓮現の義にあたる。華開けば蓮の実おのずからあらわれるように、この章にきてようやく弥陀易行の義があらわれてくる。即ち前の十方十仏章には全く阿弥陀仏の御名さえ出ていないが、この章にきては、「阿弥陀仏等の仏」とか「阿弥陀等の諸仏」とかいって、一百七仏の名の最初にたびたび弥陀の名があらわれてきた。諸仏の華(はなびら)が開けて弥陀の蓮の実がだんだん現れてくるのである。
第三、弥陀一仏章は華落蓮成の義にあたる。華が全体すっかり落ち散ったところに、自然に独り蓮実があらわれるように、この章では諸仏易行を一口も云わず、専ら弥陀易行の蓮実をあらわすことに努めておられる。
このように窺うときは『易行品』一部の中には諸仏の易行が説いてあるけれども、本意を尋ねてみれば、一品の始終にただ弥陀一仏の易行を説くことを本意とするのである。そしてこの大意に据わって更に十方十仏章等を振り返ってみれば、十方十仏章も一百七仏章も、みなそのまま弥陀の易行を明らかにされた文ということができる。それゆえ、宗祖聖人は一百七仏章の文点までも変えて『行巻』にこれを引用し、以て一百七仏章も弥陀の易行を述べられたものに外ならないとの意を暗示されたのである。
四 『易行品』の帰趣:雲澍院講師の説
更に雲澍院講師(雲澍院 南条神興 1883年 - 1887年)は華厳宗の名目を借りて各章の順序を考えておられる。
十方十仏章・・・・本末平等門・・・・第十九願要門の位
一百七仏章・・・・本末差別門・・・・第二十願真門の位
弥陀一仏章・・・・摂末帰本門・・・・第十八弘願願の位
余仏菩薩章・・・・従本垂末門・・・・第二十二還相回向の相
第一、十方十仏章は本(弥陀)末(諸仏)平等の辺で、弥陀と諸仏と互角にして挙げられたから、ことさら弥陀仏を出されることなく、諸仏中に弥陀仏も含めておられるのである。これは第十九願において、諸行と念仏とを互角に誓われたのと同じ義門である。
第二、一百七仏章は本末の差別を立て、弥陀をもって諸仏中の上首としておられる。それで、この章では、一百七仏の第一に弥陀の名を挙げ、「阿弥陀仏等の仏」と云っておられる。これは第二十願において少善根の諸行に対し、多善根の念仏を勧められるのと同様の義門である。
第三、弥陀一仏章は末(諸仏)を摂めて本(弥陀)に帰せられたので、弥陀一仏のうちに諸仏を取り込んでしまわれたのである。これは第十八願において、万善万行を円備した念仏一行を誓われた義門にあたるのである。
第四、余仏菩薩章は、本(弥陀)より末(諸仏)を垂れる義について申されたので、阿弥陀仏が衆生済度のために種々の化仏を出されること等をいうのである。これは第二十二願還相回向の義門に相当する。
五 『易行品』の帰趣のまとめ
右の二説のうち、いづれによるも『易行品』諸章の中心は全く弥陀一仏章にあることが知られる。そして、この弥陀一仏章は阿弥陀仏の無量功徳である名号を信持して、現生に不退位に入り、命終して安楽界に入ることを喜ばれた菩薩の信仰の告白である。これ即ち『易行品』全部の始終に渉って輝いている精神である。