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第四章 現在より未来へ

本願名号正定業 至心信楽願為因
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就

本願の名号は正定(しょうじょう)の業なり。
至心(ししん)信楽(しんぎょう)の願を因とす。
等覚(とうがく)を成(な)り大涅槃を証することは、
必至滅度(ひっしめつど)の願(第十一願)成就なり

 衆生をまるの他力で救うという本願によって成就された南無阿弥陀仏の名号は、万善万行の徳を円かに具え、よく衆生を救う働きがある。

 この名号を信ずる他力の信心一つによって、現生(げんしょう)に於いて未来に必ず仏になるという等覚の位、即ち正定聚(しょうじょうじゅ)に住し、やがて命終れば浄土に生れて仏のさとりを開かせて頂く、これ総(す)べて本願成就の賜(たまもの)である

一 光明と名号の因縁

 み仏のお徳は、衆生を救うという働きの外ありません。その働きとは光明・名号の二つであります。聖人はその光明の働きについて十二通りの徳をあげて讃嘆されましたので続いて名号のお徳を讃えられましたのが、「本願名号」より「必至滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ)」の2行4句のお言葉であります。

 今、名号の働きを伺うにあたりまして、先ず光明と名号の関係を明らかにすることが大切であります。この光明・名号の関係については、『教行信証』の行の巻に、七高僧の中第五番目の高僧、善導大師の教えにもとづいて、光号(こうごう)因縁(いんねん)という妙釈を施しておられます。

  「まことに知んぬ、徳号の慈父ましまさずば、能生の因闕(か)けなん。光明の悲母ましまさずば所生の縁乖(そむ)きなん」

と仰せになっています。即ち名号を父にたとえて因となし、光明を母に譬えて縁となされました。名号の父の因と光明の母の縁と因縁和合して浄土に往生すると述べられました。すれば名号の因、光明の縁の働きによって、私達がお浄土に往生することが出来るのであります。

 ちなみに仏教では因縁という言葉がよく使われますが、因とは直接原因であり、縁とは間接原因と言えるでしょう。米を作る場合に種籾(たねもみ)が因であり土、水、日光、肥料等が縁であります。

 今、光明を縁とされましたが、光明の働きは先にも述べましたように調熟(ちょうじゅく)であって、仏法嫌いな私をだんだんと楽しんで仏法を聞く身に育てあげて下さることであり、名号とは正しく仏になる業因(種)を私に与えて、仏になるべき欠け目なき立派な資格をめぐんで下さるのであります。

 その名号の働きをここに「本願名号正定業」と讃嘆されました。即ち苦悩の衆生をまるの他力で救うという仏のねがいによって成就された南無阿弥陀仏の名号は、正しく衆生を浄土に生れしめるすばらしい働きがあるということであります。私達が仏になるには願と行とが具わらなければなりません。これが正しい因果の道理に立つ仏教の定めであります。

 よって願もなく行も出来ない私を、仏にならしめるには、み仏が私に代わって願と行とを仏の手元に成就して、南無阿弥陀仏と名告(なの)られたのであります。従って南無阿弥陀仏には、願と行とが具わり、万善万行の功徳が収められていますので名号を正定業と讃嘆されるのであります。

 この名号のいわれを聞きひらき信ずることによって、名号の功徳の全体が私の功徳となり、ここに仏になるべき完全なる資格と価値が恵まれて、やがてこの世の縁がつき、命終りて浄土に生れる時、み仏のさとりを開くのであります。このことを「等覚(とうがく)を成(な)り大涅槃を証す」と述べられました。

 ここでなお見落としてならないことは、名号のいわれを聞きひらき信ずる信心は私の方で起して行かなければならないのかという問題です。少し専門的になりますが、蓮如上人は南無阿弥陀仏の名号を機法一体と讃嘆されました。機とは衆生のことであり、法とは名号のことであります。

 この意はやさしく申しますと、南無阿弥陀仏のいわれを信ずる信心まで南無阿弥陀仏の名号の働きによることを顕わしているのであります。すなわち信心は私が賢くて信ずる心ではなくて、衆生を必ず救うという願いによって出来上がった名号の働きの外ありません。おかる同行がこのことを

  おかるおかると呼びさまされて ハイの返事も向うから

と鮮かにうたっています。また山の端に登った満月を見て、ああ良い月だと見上げるままが月の光の働きの外ありません。月の光で月を見る、仏の働きで仏を知るの風情(ふぜい)で、名号を信ずる信心を他力廻向の信心といわれるのはこれによるのであります。

二 念仏者のあかし

 我が浄土真宗は、昔より同朋教団と言われ、これにふさわしい教団確立を目指して、宗門の二大基幹運動として門信徒会運動と共に、同朋運動が強く展開されていることは、周知の通りであります。同朋運動の基礎は、親鸞聖人が、親鸞は弟子一人も持たず、御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)とかしずいて行かれた精神によるのであります。

 では同朋教団と言われる所以は何によるのでしょうか、それは今日多くの人が考えているような同じ教えを信ずる仲間だからというのではありません。もしようであるならば、他の宗教も皆同朋教団といわなければならないでしょう。天理教の人達もキリスト教の人達も皆同朋教団といえるはずです。しかし他の宗教ではほんとうの意味の同朋教団とはいえわれません。浄土真宗に於てのみ、これが言われるのであります。このことは見落してはなりません。

 ではどうして浄土真宗に限って同朋教団といわれるのでしょうか。それは信仰する対象が一つであるというのではなくて、信心そのものが如来から恵まれた他力の信心によるからです。天上の月も田の面の水にも小川のせせらぎにも、汲み上げた盥(たらい)の水にも影を写します。写す器はそれぞれ違っていても、写った月の影は皆同じであるように、人はそれぞれ能力の差もあり性格賢愚の違いはあっても、聞法を通して胸に宿った信心の月には変わりはありません。

 み仏より同じ信心を給り、同じ信心に生かされて行くから、念仏を喜ぶ人々を親鸞聖人は御同朋・御同行とかしずいて行かれました。ここに、身分や地位を超えて温かく手を握り合うところに同朋教団といわれる所以があるのです。

 蓮如上人は或る時お弟子の法敬房順誓(ほうきょうぼうじゅんせい)の手を取りながら、「法敬よ私とお前は兄弟だなあ」と仰せになりました。

 この言葉に順誓は驚き、「それは余りにも勿体ないお言葉であります。本願寺第八世の善知識親鸞聖人の生れかわりと仰がれる貴方と私のような者と兄弟とは余りにもおそれ多い言葉であります。」と申し上げた時、上人は「そうではない、お前の頂いた信心も蓮如が喜ぶ信心も同じではないか、そなたが参るお浄土も蓮如が参るお浄土も同じよ。同じ親を持ち、同じ信心の喜びに生かされ、同じお浄土へ参るならば先に生れた者が兄、後に生れた者が弟よ、私とそなたは兄弟よ。」(蓮如上人御一代記聞書取意の文)と仰せになった言葉が懐かしく味わわれます。

 私は学生時分に御正忌に本願寺に参詣しました。本堂でのおつとめが終り、総会所(そうかいじょ)(お説教のある場所)の方に急いでいる時に、私の前を二人の女の人が話しながら行かれました。

 その言葉を聞くともなしに聞いていると、「私達お念仏を喜ぶ者は幸せですね、こうして初めてお逢いしても初めてのような気はせず、姉妹の様に打ちとけて話し合えますからね。」との言葉が耳に入り、その二人の婦人の間に漂うほのぼのとした温かさに強く心をひかれました。

 親鸞聖人のみ教えに生きる私達真宗門徒は、温い同朋感の絆の上に手を取り合いながら、美しく豊かに生き抜いてまいりました。この姿こそ同朋教団のあるべき姿であり、宗門のめざす同朋運動とは正にこの姿の実現への運動に外なりません。更に思うに、法華経に常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)のお話がとかれています。常不軽菩薩はすべての人々を軽んぜず敬い、礼拝して行かれました。

 「汝に仏性有り、汝正に作仏(さぶつ)すべし、この故に我汝を礼す」貴方には尊い仏性があります。その仏性が何時か花開いて仏になられるでしょう。この故に私は貴方を礼拝するのですと言い続けながら、悪童、乞食、遊び女等に至るまで礼拝してゆかれました。

私は今このことを思うのです。聞法を通して信心の智慧が恵まれ、信心の智慧の眼には生きとし生けるものすべてみ仏の愛子(いとしご)であり、その愛子にみ仏の慈悲の光は限りなく注がれています。ここに

  同一念仏して別の道なきが故に それ遠く通ずるに四海の中皆兄弟(けいてい)となす(曇鸞大師)

 という同朋の世界が開かれて来ます。この同朋意識によって身分、学歴、因習等による差別の心が打ち砕かれていく、否、打砕いて行かねばなりません。

 思えば徳川幕府の封建政治の下にきびしい身分制度が設けられて、それは三百年の永い間続けられました。明治維新になってこの身分制度が廃止され、人間平等が謳われましたが、永い間の因習は今尚残り三百万に及ぶ同朋が、厳しい差別の苦しみの中にあります。

 私達は今こそこのことに深く思いを致して悲しみを感じつつ親鸞聖人の御同朋・御同行の精神に立ち返って、念仏者としての証(あかし)を立てねばなりません。従って同朋運動とは念仏者は同朋であるとの自覚を深め実践すると共に、また生きとし生ける者すべての同朋であると自覚せしめる運動であります。明治天皇は

  四海(よも)の海
  皆はらからと思う世に
  なぞ波風の
  立ちさわぐらん

とお詠みになりました。物は豊かになり生活は便利になりましたが、人々は個人の利益追求にのみ走り、極端なマイホーム主義に陥って、社会の連帯感を見失い、孤独地獄への道をたどりつつあります。今こそ同朋運動の実践と成果が強く期待される時であります。

三 命のふる里へ

 私は最近ふと思うのです。人間に生まれた喜びは?浄土真宗に遇った幸せは?と。それらを思う時に数年前、私の法友大八木広澄(おおやぎこうちょう)氏(現鹿児島別院副輪番)より聞いた某婦人のお話が頭に浮びます。

 この婦人は女の子をもうけて間もなく主人に死別されました。その後再婚の話は幾度かありましたが、それを断り、子供の成長を唯一の楽しみとして生き抜いて来られました。その子は小学校、中学校、高等学校も優秀な成績で終り、京都大学を受験し合格しました。

 在学中は学生運動が非常に激しい頃で、幾度か参加するように友人から誘われましたが、軽はずみなことをしてもしものことがあれば、田舎で自分の無事卒業をひたすら待っているお母さんにどんな悲しい思いをさせるかと思うと、参加する気になれず、それを断り続け、無事4年の課程を終えて、母校の有明高校に国語の教師として就職されました。

 それから一年半程過ぎた頃、どうも身体の調子がおかしいと鹿児島の大学病院で診察を受けましたが、原因が判明せず、九大病院で精密検査を受けたところ、脳腫瘍と診断されて入院されました。病状は悪化の一路を辿り、死期の近いことを自覚されたのでしょう。ある日

「お母さん、私恥ずかしいことがあるの、言ってもいいかしら?」
「何も恥ずかしいことないよ、何でも言ってごらん。」
「お母さん、私死ぬのがこわいの、死んだらどうなるのでしょう。」

この悲痛な叫びを聞かれた時に、この婦人は一言も答えることが出来ませんでした。主人と死別後、家の経済のこと、子供の教育等に心を奪われて、お寺にお参りすることが出来なかったのです。

 この娘さんは、悲痛な言葉を残し、やがて亡くなってゆかれました。火葬に付し、遺骨を白木の箱に納めて、胸に抱きしめながら、一人寂しく故郷に帰って来られました。

 この事がご縁となって、お寺の仏教婦人会にはいり、毎月の例会には欠かさず出席し、熱心に聴聞を続けられました。ある日ご住職に
「先生、私は自分の愚かさを娘にわびながら、朝夕お礼しています。」
と話されました。

 おそらくこの婦人がお礼をされる時に、娘さんの白木の位牌がいたいたしく眼に迫って来たことでしょう。その時娘さんの最後の言葉がなまなましく胸に甦って”どうかこの馬鹿なお母さんを許してね、あなたの食べること、着ること、学校の教育には一所懸命尽してあげたけれども、一番大切な命の問題、生死の問題については、何一つ教えてあげることが出来なくて・・・”という後悔の念が胸に迫って来たことでしょう。

 私はこれを思うのです。生死の問題、帰るべき命のふる里について、明瞭な解答が与えられる。そこに人間に生まれた本当の喜び、浄土真宗に遇ったこよなき幸せがあるのです。

 そんなことを思いつつお正信偈を拝読する時に、「等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり」との言葉が力強く胸に迫って来ます。

 等覚とは、凡夫より仏の位に到るまでに五十二段の階段があり、五十一段が等覚の位であります。すなわち十信(じゅっしん)、十住(じゅうじゅう)、十行(じゅうぎょう)、十廻向(じゅうえこう)、十地(じゅうぢ)で五十段、次が等覚で五十一段、五十二段目が妙覚で仏のさとりの位であります。五十一段の等覚に登りつめれば次は妙覚の仏のさとりを聞くことに決定(けつじょう)するのです。

 親鸞聖人は名号の働きによって信心決定するところに、次の生(しょう)には必ずお浄土に生れて間違いなく仏のさとりを開く身に決定しますから、信心決定した人を等覚の位に入ると述べられました。

 そのことを「成等覚証大涅槃(じょうとうがくしょうだいねはん)」と讃えられました。これは迷いと苦悩の世界にあって煩悩の中に明け暮れしながらも、帰るべき命のふる里を知らされたことであります。

  往(ゆ)こか嬉しやあの山越えて 都まさりの親里へ

 帰るべき命のふる里を知らされた喜び、親に待たれつつある我が身の幸せは、そのままお陰様よと心豊かに生きる道であります。親鸞聖人はこの風光を

  超世の悲願聞きしより
  われらは生死の凡夫かは
  有漏(うろ)の穢身(えしん)はかわらねど
  こころは浄土にあそぶなり

  真実信心うるひとは
  すなはち定聚(じょうじゅ)のかずにいる
  不退のくらいにいりぬれば
  かならず滅度にいたらしむ

と詠われました。

 されば浄土真宗の救いこそ現在から未来への末通(すえとお)った真の救いといえるでしょう。その救いは全く本願他力による救いであることを「必至滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ)」とうたわれたのであります。

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