あとがき

  菊薫る部屋に読み継ぐ法話集
    『輝くいのち』胸に迫りて     本田 藤

  一人よむ『輝くいのち』行間に
    慈眼あふれて生(い)きむ悦び    安田 トヱ

 両眼に光を失い一人歩きもできない私に代わって道を求める人々に何かの手がかりになればとの願いのもとに書きました「輝くいのち」が、幸い多くの人々に読まれ第四版を重ねることになりましたことは、私のこよなき幸せであります。

 「輝くいのち」に続いてここに「輝く讃歌」としてお正信偈の本を再び世におくることになりました。昭和55年十月に筆を起こし、約8ヶ月の歳月を経て、ようやく書き上げることができました。思えば長い苦しい日の連続でもあり喜びでもありました。

 「輝くいのち」の時には、不自由ながらもわずかに視力残り、それをたよりとして原典に当たることができましたが、「輝く讃歌」に取り組んだ昨年10月頃より視力全く衰えて、もはや原典に当たることができなかったのも苦しい思いをした一つの原因でもありました。

 初めの言葉に申しました通り、なるべく難しい理論を避けてお正信偈を読みながら同信同朋の皆様方にお正信偈のおこころを平易に味わって頂こうとの方針のもとに取りかかりましたが、何と言っても親鸞聖人の命を懸けてお書きになった『教行信証』の行の巻に書かれた正信偈でありますので、その深いおいわれを無視することはできません。視力を失い、先哲の指導書に目を通すことのできない私には全く暗中模索の思いがしました。わずかにかって40年前に行信教校で学んだ宗学を頼りにしてようやく書き上げました。

 幸い桐渓和上の『正信偈に聞く』の名著を手にして、これを時には家内に読ませながら全く行き詰まった難関に一つの明かりを見出してこの作業を続けてまいりました。ここに、桐渓和上に深く深く謝意をささげます。

 「輝くいのち」を読まれた同信同行の方々から暖かい感謝と激励の言葉、また次の書を待望する手紙等が怠惰な私を励ましてくれました。思えば55年1月、幼少の時からの心臓弁膜症で病院の診察を受けた時に、ふと院長先生藤瀬隆幸先生に、

「私にできれば三年の命を保証して下さい」
「どうしてですか」
「私は今書いてる法話集『輝くいのち』とお正信偈、歎異抄の法話集を世におくりたいと思いますが、それには三年の歳月が必要なのです」
「心臓が悪いと言ってもそこまでは心配される必要はありませんよ」

といわれましたが、第二の希望がここに達成されたこと、こころから嬉しく思います。前回にも申しましたが、身障者の身でこれを書き上げることができましたことは私を取り囲む家内や家族並びに仏青OBの増田雅子さん(旧姓)、歎異抄会員の小原屋和(いえかず)・絹子さん夫妻等有縁の皆様の暖かい協力のたまものと深く感謝致します。幸いこのささやかな小著が、お正信偈を通して皆様方の法義相続の一助となればこの上なき喜びと存じます。

 この書発刊に当たって恩師山本仏骨先生よりまことに公私多忙の中、序文の玉稿を頂きましたことと、行信教校教授梯実圓先生に前著「輝くいのち」に続いてこの「輝く讃歌」についてご指導ご配慮いただきましたこと心からお礼申し上げます。また永田文昌堂店主の変わらぬご協力に対して厚くお礼申し上げます。

 「輝くいのち」に続いて、歎異抄の発刊を予定していましたが、私の正信偈講話を受講する人々の中に、「自分は齢70を超えていますから、早く正信偈の講話が欲しい」との切なる要望がありましたので、正信偈を先にすることにしました。これに続き構想をあらたにして歎異抄の執筆に取りかかりたいと念じています。温かい同信同朋の皆様のご指導ご協力を心からお願い致します。

 なお「輝くいのち」が地方紙南日本新聞に紹介されたのが機縁となって多くの未知の方々にもご縁が結ばれ、鹿児島県立盲人点字図書館でも点字とテープによって、目の不自由な方々に紹介されることになりましたのは、望外の幸せと存じます。