第十三章 道綽章

道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶懃修 円満徳号勧専称
三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引
一生造悪値弘誓 至安養界証妙果

道綽、聖道の証しがたきことを決して、
ただ浄土の通入すべきことを明かす。
万善の自力、勤修(ごんしゅ)を貶(へん)す。
円満の徳号、専称を勧む。

三不三信(さんぷさんしん)の誨(おし)え慇懃(おんごん)にして、
像末法滅同じく悲引す。
一生悪を造れども、弘誓に値(もうあ)ひいぬれば、
安養界(あんにょうがい)に至りて妙果を証せしむといへり。

 七高僧の第四番目に出られました道綽禅師は、末の世の今の時は聖道門の自力の教えではさとりを開くことは出来ないとして、唯浄土門の他力の教えによってさとりの世界に入ることが出来ると明らかにされました。そうして万善万行の自力の行を退けて、あらゆる功徳を円(まど)かに具えた南無阿弥陀仏の名号を専らに称えることを勧められたのです。

 また称名する信心について三不信の不淳心・不一心・不相続心と、その反対の三信の淳心・一心・相続心のすがたを丁寧に教えて、他力の信心を勧めて、像法、末法、法滅の時代の人々を等しく導かれました。従って一生悪を造る凡夫も、本願を信じ念仏すれば安養浄土に生まれて、勝れた仏のさとりを開くと教えられました。

一 道綽禅師の足跡と勲功

道綽決聖道難証 唯明浄土可通入

 七高僧を讃嘆されるのに、龍樹・天親・曇鸞の三高僧は6行12句を以て讃嘆されていますが、ここから道綽・善導・源信・源空の四高僧は4行8句を以て讃嘆されています。先輩の学匠はここに注目して七高僧を分けるのに、上三祖と下四祖と呼んでおられます。

 七高僧各(おのおの)、本願他力を軸として教えを展開しておられますがその勧め振りに相違があります。即ち上三祖の龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師の高僧方は、信心を中心として、信心往生の立場で他力の救いを説いておられます。これに対して下四祖道綽禅師・善導大師・源信和尚・源空上人は何れも称名念仏を中心にして、念仏往生の立場から他力を勧められました。

 これは上三祖と下四祖の教えに相違があるのではなくて本願他力の勧め振りに相違があるので、上三祖は本願を頂く信心について往生を説かれ、下四祖はその信心が口に表れたお念仏の処で他力を勧められたのです。このことをよく理解することがお正信偈を正しく頂く為に大切なのであります。

 さて七高僧第四祖の道綽禅師は、紀元562年、今から1400年前、中国の并州(へいしゅう)汾水(ふんすい)にお生まれになりました。14才の時に出家されましたが、非常に自己にきびしい方で、また道念非常に厚い方でした。

 始め涅槃経を拠所(よりどころ)とした涅槃宗に学び、ひたすら仏道に精進され、清僧の誉れ高く、多くの人にその徳を仰がれました。

 ある年、曇鸞大師がお亡くなりになられた玄忠寺に詣でられました。玄忠寺境内に曇鸞大師の芳績を讃えた石碑が建てられています。その碑文を読まれた道綽禅師は、梁の天子粛王(そうおう)から曇鸞菩薩と礼拝を受け、魏の天子より神鸞とあがめられた曇鸞大師すら、四論宗の聖道自力の教えを捨てて、他力の浄土門に転入しておられることに、深い感銘を受け、自らも聖道自力の涅槃宗を捨てて、曇鸞大師のみ跡を慕い、浄土門他力の教えに転入して、日課七万遍のお念仏を称えつつ、浄土往生の道を歩まれたのであります。

 清僧の誉れ高かった道綽禅師の徳は普く行きわたり、長安の都では、幼い子供達もお念仏を称えたと伝えられています。そうして一生の間に二百回も『観無量寿経』を講釈されました。安楽集上下二巻はその代表的なものであります。

 お釈迦様が説かれたみ教えは煩瑣(はんさ)とも思われる膨大な教えになっています。この教えを分類整理して価値づける作業を教相判釈(きょうそうはんじゃく)と申します。仏教各宗皆この教相判釈があります。さきに述べました龍樹菩薩の難行道・易行道、曇鸞大師の自力・他力、何れも教相判釈であります。

 道綽禅師の勲功は、龍樹菩薩、曇鸞大師の難行・易行、自力・他力の教相判釈をふまえて、お釈迦様の一代のみ教えを聖道門・浄土門と分類整理されたことであります。即ち難行自力の教えを聖道門として、それはこの土でさとりを開く教えであり、易行他力の教えを浄土門としてそれは浄土に往生して仏のさとりを開く道であると示されました。しかも聖道門の教えでは、末世の今の世にはさとりを開くことが出来ないとし、唯浄土門のみがさとりの世界に入る道であると明らかにされたのであります。

 この道綽禅師の教えを正しく理解する為に当時の人々の心を強く支配していた三階教(さんがいきょう)による正法・像法・末法の思想を知らなければなりません。

 この正像末三時の思想は、仏教の時代観の一つであります。即ち釈尊の在世、及び亡くなられた後500年を正法の時代と云い、500年以後1,000年間を像法の時代、1,500年以後10,000年を末法といいます。末法の後を法滅と言われます。

 正法の時代とは、お釈迦様の感化力がそのまま残っている間をいいます。例えば太陽は没してその姿は見えなくとも、余光が輝いて昼と変わらない明るさ、この時代は教えもあり、教えによって修行する人もあり、それによってさとりを開く人もあります。即ちお釈迦様在世時代と少しも変わらない状態の時代といえましょう。

 次に像法とは、像とは似るという意味で、正法に似た時代ということです。太陽がだんだん余光がうすれて行く状態で、お釈迦様の感化力がうすれて行く時代であります。この時代は教えがあり、教えの通り修行する人もありますが、もはやさとりを開く人がありません。

 最後に末法とは余光全く消えて、真の闇になった状態で、お釈迦様の感化力も全くなくなった時代です。この時は教典は残っておりますから、教えはありますが、もはや教えの通り修行する人はなく、勿論さとりを開く人はありません。

 道綽禅師がお生まれになった陳の天嘉三年はお釈迦様が亡くなられて1,512年に当ると考えられて、当時の中国仏教界は末法の時代に入ったという悲観的な暗い気持ちの中に覆われていました。

 それを裏書きするように三武一宗(さんぶいっそう)の法難が起りました。これは三人の武帝と一人の世宗(せそう)によって仏教が永い間にわたって、しばしば弾圧されたのです。

 壮麗な寺院が次々とこわされ、数々の貴重な教典は惜しげもなく焼かれました。これに抵抗する僧侶は生埋めにされる者、その数を知らず、こうした姿を目(ま)のあたりにみた当時の人々は、いよいよ末法感を深くしたのであります。

 道綽禅師は、北周の武帝の弾圧にあわれたのですが、こうしたことは、そのような時代に生きられた道綽禅師の思想・教学に深い影響を与えない筈はありません。私達は道綽禅師の教えを学ぶ時に、末法思想を無視することは出来ません。

 道綽禅師は聖道自力の教えではさとりを開くことは出来ないと説かれたことについて、二つの理由と一つの証しを挙げておられます。

 一つは大聖を去ること遙遠(ようおん)なり。これは釈迦様が亡くなられて一五〇〇の遙かなる年月を経ている、即ち時代は末法に入り、お釈迦様の感化の力がもはや及ばないということであります。

 二つには理深解微(りじんげみ)なり。これは即ち末法になって、人々は甚深微妙(じんじんみみょう)な仏教の道理を理解する能力を失っているという意味であります。

 先に龍樹菩薩が難行道ではさとることは出来ないと言われた理由は、諸々の行を修し、久しい時間を要し、途中で退堕するという諸、久、堕の三難を説かれたのに対して、今は末法に入り、お釈迦様の感化の力がなくなり、人々の根気が劣っているからだと説かれたのであります。これによって道綽禅師の上に末法思想がいかに強く働いていたかを知ることが出来ます。

 次に一つの証しとは、『大集月蔵経(だいじゅうがつぞうきょう)』に説かれた釈尊の言葉によるのであります。即ち「我が末法の時の中の億々の衆生、行を起し、道を修するに、未だ一人もさとり得るのもあらじ」と。

 この二つの理由と一つの証しによって、聖道自力の法では、もはやさとりを得ることは不可能なりと宣言されて、浄土の教えこそさとりの世界に通入すべき道であると明らかにされたのであります。

二 ねんごろなお諭し

万善自力貶勤修 円満徳号勧専称
三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引

 お釈迦様の説かれた一代の教えを聖道門と浄土門に整理して、聖道門は末の世の今の時はさとることは出来ないと定められて、ただ浄土門一つがさとりの世界に入ることが出来ると明らかにされましたので、今それを具体的に行と信とにわたってお諭(さと)しになったのがこの四句の言葉であります。特に念仏の信心については曇鸞大師の言葉を引いてねんごろに説かれました。

 さて道綽禅師は、聖道門の修行の道を万善万行と示されて、この自力の行ではさとることが出来ないとおとしめ退けられて、あらゆる功徳が円かに具わった南無阿弥陀仏の名号を専ら称えることを勧められました。即ち自力より他力への転向を勧められたのであります。

 ではどうして他力のお念仏で総ての人々が救われるのでしょうか。これについてこんな話があります。

 法然上人の教えをうけた高野の明遍僧都(みょうへんそうづ)が、こんな疑問を起こされました。厳しい自力修行の人々も、末の世(末法)にはなかなかさとりを開けないのに、果して私のような者がお念仏一つで救われるのだろうか、という疑問です。疑問は疑問を呼び、ますます広がって行きました。

 ところがある日こんな夢を見られたのです。それは天王寺に参詣した時のこと、天王寺には多くの乞食(こつじき)が参詣者にしきりに哀れな声で物を乞うています。それを見て可哀想に思いながらも、出家の悲しさ、与える物がありません。

 ところがその時ある人が大八車に大きな釜とお米を運び、境内でお粥を炊いて、やがて乞食(こつじき)に向かって、きょうは私の親の命日である、だからお前達も私の供養を受けておくれと言われました。

 乞食達は先を争ってお椀を出し、久し振りに温いお粥に舌鼓を打っています。それを見て、ああよかったと喜びながら、ふと御堂の縁の下を見るとそこに一人の乞食がじっとうずくまっています。どうしたのかとよく見ると眼がつぶれ、足が立たないのであります。

 可哀想に何とかならないかなあ、せっかくの供養もそのために頂くことが出来ないなとあわれに思っていると、先の人が鍋にお粥を入れて、乞食のそばに来て、お前もどうか供養を受けておくれとお椀に注いでやられました。乞食は、見えない目から涙しながら拝んで頂いています。

 ほんとうに感心な人だ、どんな人だろうかとよく顔を見ると、その顔は懐しい師法然上人のお顔に変わって来ました。そこで夢がさめたのです。不思議な夢を見たものと考えていたこの明遍僧都は、ああ有難いと思わず合掌してお念仏されました。

 このこころはここまで修行して来なさい、助けてやるという自力の教えならば、智慧の目が開け、修行の足のある聖者は救われても、智慧の眼がつぶれ、修行の足のたたない凡夫は、到底救われません。その凡夫の為にみ仏が立ち上がって歩みを運び、救いの手をさしのべて下さることによってのみ、初めて救いの道が開かれます。これが他力のお念仏のみ教えと気付かれたのであります。

 すれば南無阿弥陀仏の名号を称える称名は救いを求める祈りの声でもなければ、利益を祈る呪文でもありません。み仏の大きなお慈悲を素直に頂いた感謝の声であります。

 前門主様が「思うに宗祖親鸞聖人のお念仏は如来の大悲を仰ぐ感謝の声であります」とお諭しになりました。大悲を仰ぎ、大悲に答える姿が南無阿弥陀仏の名号を称える称名であります。故に末の世の衆生は諸善自力の修行では救われないと退けて偏(ひとえ)にお念仏をすすめられたのであります。

 そのお念仏する信心について、自力の信心と他力の信心のすがたを明らかにして、ねんごろに永く末の世の人々を導かれました。そのことを「三不三信の誨、慇懃にして像末法滅同じく悲引す」と讃嘆されたのであります。

 三不三信とは、もともと曇鸞大師が『往生論註』にお諭しになったお言葉であります。

 無碍光如来(阿弥陀仏)の光明は、十方世界に普く輝いています。衆生がみ仏を思い称名しながらも無明なお有って未だ志願満たされず迷うているのは何によるかと問いを出して、その答えに、二不知三不信によるのだと述べられました。

 二不知とは一つにこのみ仏は真如(真実)の世界から現れた真のみ仏(実相身(じっそうしん))であることを知らないによる。

 二つには衆生の為に立ち上がられた如来であることを知らないことによる。阿弥陀如来は決して他人仏で向うに眺めているみ仏でなく私の為に立ち上がって下さったお方であります。即ち真実の私の親であるということです。

 三不信とは自力の信心のことであって、一つは不淳心、二つには不一心、三つには不相続心であります。即ち自力の信心は凡夫の計いが混り往生について決定の心もなく信心も相続しません。これに対して三信(他力)は一つには淳心、二つには一心、三つには相続心といわれます。

 この他力の信心は、み仏のお慈悲を計いなく素直に頂き、往生は間違いなしと安心し、命終るまでこの信心を相続します。

 このように道綽禅師は、自力の行を退けて、称名念仏を勧めながら、その信心について、自力の信心と他力の信心の相(すがた)をねんごろに説いて像法、末法、法滅の人々をあやまちのないようにおみちびきになりました。これを意訳には

  信と不信をねんごろに 末の世かけて教えます

とうたわれています。

三 末通ったまことの救い

一生造悪値弘誓 至安養界証妙果

 先にお念仏する信心について、自力の信心と他力の信心のすがたをねんごろに説きあらわされたので、この二行はその他力のお念仏による末通った真(まこと)の救いについてお諭しになったのであります。

 即ち一生の間悪ばかり造る浅ましい愚かな凡夫でも、一度本願を信じ念仏する者は浄土に生れて妙なるみ仏のさとりを聞くことを説き示されたのであります。

 ここで注意しなければならないのは、値弘誓を弘誓に値(もあう)うと読んでおられます。これは本願を信じ御念仏することでありますが、会うべくして会うたこと、又会う資格があって会うたことではありません。

 よくこの頃、「親鸞との出会い」とか「法然との出会い」という言葉を使い、この出会いという言葉を親鸞聖人の「値う」と言われた言葉と同じように理解している人が多いのでありますが、これは大きな誤りであります。

 出会いとは会うべくして会い、また会う資格が有る者同士が会うことを言うのです。聖人が値(もあう)うと言われる時は会うべき筈のない者が会うたことであり、あうべき資格のない者が会った場合に使われるのです。即ち如来の働きによって本願に値(もあう)うたことであります。

 今までしばしば述べてまいりましたが、私達は真如背反と申しまして真実に背を向け、仏に背いて逃げよう逃げようとしているのです。仏法にあえるような資格は微塵もありません。それが偶々(たまたま)あうことが出来たのです。あうべからざる者が、み仏の一方的な働きによってあわせて頂いているのであります。ここに親鸞聖人は弘誓に値(もあう)うと仰せになりました。

 聴聞ということも私は仏法を聞くような資格は微塵もありません。それを私は今聴聞させて頂いているのです。このことを聖人は、「許されて聞く」と特に註釈をおつけになっておられるのもこの意でしょう。

 さて一生造悪という言葉でありますが、私達は一生悪を造りつつ、悪の中から一歩も抜け切れない凡夫であると言われると、俺は何時どんな悪いことをしたと言うのかと強い抵抗を感ずる人が多いことでしょう。けれども、私達は悪の中に埋没し切っているから、悪を感じなくなっている程悪が深いのです。

 そんな馬鹿なことがと反対する人もいるでしょう。けれども仏教で説かれる悪とは、倫理や道徳で言われる悪とは違うのです。倫理や道徳では人の道を正しく守ることを善といいこれに反する行為を悪と言っているのに対して、仏教では真実の智慧を持たない無明から起こる自己中心の心、つまり我執より現れる総ての行為を悪と言われるのであります。

 それは社会や他人をきずつけると共に、私をいよいよ深い迷いの世界に追い込んで行くからです。そこに心を止めて、私達の日常生活を静かに内省してみると、我執より一歩も離れることが出来ないことを知らされるでしょう。

 親鸞聖人はたとえ世間で善と言われるものも雑毒の善、虚仮の行と言われました。即ち我執の毒のまじった善であり、真実のない行と言われたのです。どんなおいしいごちそうでも、一滴の毒が混じっていたならばそれは御馳走にはならないでしょう。私達のすべての行為が我執の上に立ち、我執から一歩も離れられないということについてこんな話を思い出します。

 あるお寺の仏教婦人会の方が入院されました。御住職が見舞いに行かれた時に、案外元気で枕元にはお見舞いの品が沢山置かれていました。親しい間柄なので、

「奥さん沢山のお見舞い頂きましたね。」

と言われたら、

「いや先生まだ来るんですよ。」

ともらされました。極端な話のようでありますが、私達もこんな場合にやはりこれに類した、見舞いを期待するような心が動かないでしょうか。私はその言葉を通して、その人の心の底を、いや私自身の心の底をのぞき見たような感じがしました。

 人をお見舞いすることは美しい行為でありますが、然しこれだけのことをしてあげたと言う執着が尾をひいているのです。それを思う時に、我執の凡夫と言われた言葉が何かしみじみと胸にひびきます。

 親鸞聖人が一生造悪の凡夫と仰せになった言葉もこうした世界ではないでしょうか。こんな私が値(あ)い難くして値(あ)うことによって、やがて浄土に生れて妙果を開かして頂くことを讃嘆されたのであります。今静かに聖人の数々のお言葉を味わう時に、そこに浄土に生れ行く喜びがそのまま人生に反映する明るい温かさとなって伝わって来ます。

  娑婆永劫(しゃばようごう)の苦を捨てて
  浄土無為を期すること
  本師釈迦のちからなり
  長時に慈恩を報ずべし (高僧和讃)

  超世の悲願ききしより
  我等は生死の凡夫かは
  有漏の穢身は変らねど
  心は浄土にあそぶなり (帖外和讃)

 昭和39年5月22日75才を一期に往生された家内の伯父元宮崎教区教務所長、慶正寺前住職小野鴻基法師(現住職小野一修師)のことが私の胸に浮んで来ます。

 昭和38年5月22日より、26日までの行信教校の安居に出席している時に、家内より連絡があって、伯父さんが福岡の九大病院に入院されたので、帰りに見舞って下さいとのこと。博多駅に途中下車して病院の個室を訪ねました。

 その時伯父さんは端然と椅子に寄って本を読んでおられました。側のベットに伯母の靖子夫人が休んでおられました。私は伯父さんが入院と聞いて来たが、入院されたのは伯母さんであったのかと一瞬とまどいましたが、やはり伯父さんで、伯母さんは看病疲れで休んでおられるところでした。やがて伯母さんも起きられ、挨拶を交してトイレに行かれました。

 その時伯父さんが静かに「君だから話すが、わしは口腔癌で余命幾ばくもない。家内には知らせてないから今しばらく君の胸に伏せておいておくれ。今知らすと余計な心配をかけるから。」

 と淡々と話されました。私は今その情景を思い起こす時に、やはりお念仏に遇うた素晴らしさを思うのです。死を前にしながら、なるべく家族に心配をかけないようにとのやさしい心の配り、さすがお念仏ならではとの思いがしみじみ致します。

 然しこれは伯父さん一人だけのものでなくて、本願を信じお念仏をする私達に恵まれている道であることを思う時に、浄土真宗に遇うた幸せを思い、「一生悪を造る者も弘誓に値いぬれば、安養に到りて妙果を証す。」とのお言葉が一層懐かしくひびいてまいります。