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第六章 信心の利益 その一

能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味

能(よ)く一念喜愛(きあい)の心を発(ほっ)すれば、
煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
凡聖(ぼんしょう)・逆謗(ぎゃくほう)斉(ひと)しく廻入(えにゅう)すれば、
衆水(しゅすい)海(うみ)に入りて一味なるが如し。

 能く、み仏の仰せに疑い晴(ほとけ)て喜ぶ一念の信心が起こった時に、煩悩を持ちながら、それが妨げにならず、やがて悟りを開いて仏になる身にならしめられるのであります。

 凡夫も、勝れた聖者(しょうじゃ)も、五逆や十悪を犯した罪人も自力を翻(ひるがえ)して本願他力に帰入すれば、諸々の川の水が海に入りて一つの塩味に変わるように、同じ一味の信心を恵まれて、やがてお浄土に生まれて平等のさとりを開くのであります。

一 煩悩をもちながら

 お釈迦様がこの世にでられた本意は、弥陀の本願を説くことにあると讃えられて偏(ひとえ)に信心を勧められました。従って「能発一念喜愛心」より「是人名分陀利華」までの8行16句は、その信心の5つの利益を讃嘆されたのであります。

 この他力の信心の利益について次の四つのことに留意しなければなりません。

一、祈らずして信心定まるところ、自ずと利益が恵まれる。
二、信心と利益は同時である。
三、その利益は精神的福利で、金が儲かる、病気が治る等の物質的福利ではない。
四、精神的福利によって心に豊かさを持ち、努力するところに物質的福利を得る。

 今「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」とは、信心発(おこ)るところに、煩悩を持ちながら、それが妨げにならず、仏のさとりを開く利益を讃えられたのであります。

 煩悩を持ちながら涅槃(さとり)を得るとは当時の人々の耳を驚かした言葉でありました。それは煩悩こそ迷いと苦悩の根元であって厳しい修行によって煩悩を断じつくしてこそ、そこにさとりを開く、これが因果の道理による仏教の鉄則であります。

 私が学生の時、利井興隆(かがいこうりゅう)先生から、中国の詩人でまた政治家であった白楽天について、こんな話を聞きました。白楽天が隣の県の知事に任命されて赴任する途中、県境まで来た時に大きな松の木の枝に一人の坊さん(鳥巣(ちょうそう)禅師)が座禅を組んで修行していました。

 風が吹くと枝が揺れ、落ちそうで危くて仕方がないので白楽天は思わず「おい坊さん気をつけないと落ちるよ」と声をかけました。すると上から「落ちるとは汝の事なり」と言う声が返って来ました。そこで「生意気な、人が折角注意してやっているのに」と思い問答をしかけました。

「仏教とは何か? 一口に言って見よ」
「諸々の悪をなす事莫(なか)れ、諸々の善を行え」
「何、それが仏教か!! そんな事なら三才の童子も知るところ」
「三才の童子これを知ると雖(いえど)も、八十の老翁(ろうおう)、尚これを行い難し」

 これより白楽天はこの鳥巣禅師について仏の道を学んで行かれました。それ以後白楽天の詩は宗教的深さを増したと言われています。

 この禅師の答は昔から言われている七仏通戒の心を述べられたものであります。これは過去の七仏が何れもこの教えに従って人々を教化された言葉であります。「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」[諸(もろもろ)の悪をなす事莫(なか)れ、衆(もろもろ)の善を奉行し、自らその心を浄くせよ、これ諸仏の教えなり]

 この意(こころ)は申すまでもなく、悪を止め、善を修めながら自らの心を浄くして行く、これがあらゆる仏に一貫した教えであるというのであります。そうした中にあって、煩悩持ちつつ悟りを開くということは当時の人々にとっては想像もつかないことであったでしょう。

 したがって自力修行の聖道門の人々はこの念仏の教えは仏教に非ず、外道なりというきびしい攻撃をしました。思うに法然上人や親鸞聖人が流罪にあわれた法難の原因もここに根ざしているのであります。それ故にこそ親鸞聖人は煩悩を持ちながらさとりをひらくことを信心の利益の第一にあげられて強調されたものとうかがわれます。

 ではどうして煩悩を持ちながらさとりを開くことが出来るのでしょうか。岩石はどんなにしても必ず水に沈みますが、ひとたび船に乗せたならば、沈む自性のまま浮かびます。煩悩を欠け目なく具えて、地獄より外に行き場のない私ではありますが、み仏の大願業力という大きな弘誓の船に乗せられると、生死の迷いの海を超えて真実の浄土に生れ、仏のさとりを聞かして頂くのであります。

  生死の苦海ほとりなし
  ひさしく沈める我らをば
  弥陀弘誓の船のみぞ
  のせてかならずわたしける

二 平等の救い

 信心の第二の利益は平等の救いであります。それを詠われたのが「凡聖逆謗斉(ひと)しく廻入すれば、衆水(しゅすい)海に入りて一味なるが如し」のお言葉であります。

 このお言葉には二つの意味があります。一つは自力の心を翻して他力にはいれば、みな平等一味の信心に生かされます。二つには凡夫聖者、またあらゆる罪の人々も一たびお浄土に生まれるならば、一味平等の仏のさとりを開かして頂きます。その二つの光景を巧みな譬喩を以て説かれたのが「衆水海に入りて一味なるが如し」というお言葉であります。

 親鸞聖人は、果てしなく広いみ仏の大悲を表す時に、常に”本願海”とか”弥陀智願の海水”とか、”光明の広海”とか”海”の言葉を以て表現されています。これは聖人が三十五歳の時、念仏停止(ちょうじ)の法難によって流罪になり、五年間波荒き、果てしない日本海を朝夕眺めてお過ごしになったその印象が深く脳裡に刻まれたことによるのでしょう。

 海には二つの働きがあります。一つは大小様々の河の水を平等に受け入れる働きと、二つには受け入れた河の水を一味の塩味にかえる働きであります。み仏の本願は凡夫も聖者も善人も悪人も何等の差別なく受け入れて、しかも心は同じ一味の信心にかえて行きます。

 従って同じ信心に生かされるが故に因(いん)平等であり、因平等なるが故に果(か)もまた平等で、同じ仏のさとりを開くのであります。因平等とはすべての人々の信心が同じということであります。

 これについて、もう14、5年前になるでしょうか、私の門徒に山之内タカという素直に御法義を喜ぶ有り難いおばあさんがありました。どんな法座にも欠かさず本堂の真中の一番前に座って講師のお話をうなずきうなずき聞いておられるお姿は、えも言われぬ柔和な美しい姿で、今も尚私の眼に懐かしく浮かんで来ます。

 このおばあさんが何時の間にか参詣しなくなりました。親類の家に法事に行きました時、このおばあさんが参っていたので私は問いかけました。

 「おばあさん、この頃お寺に姿が見えないがどうしたの。」
 「御院家さん、このばばも今年明けて86になりました。84、5の頃までは御正忌や彼岸会等お寺の法座には朝早くからお参り出来ましたがこの頃は子供や孫が朝早く家を出ると心配だと申しますので、それを押し切って参ることが出来ません。それで家からお寺の方に向かって親様を拝んでいます。」

 私はこの言葉を聞いた時にふと蓮如上人の「仏法は若き時にたしなめ」とのお諭しをしみじみかみしめました。年を取れば歩行も叶わず、耳も遠くなり根気も続かなくなる、若き時にたしなめとのお言葉です。私は言葉を続けて

「おばあちゃん、若い時から永い間お寺に参ったが、お寺に参ってどんなことが解ったの。」

と問いました。

「ハイ御院家さん永い間お寺に参ったお陰でこの婆々は、どこまで行っても頭の上がらぬ愚かな奴じゃと言うことがほんまに解りました。」

 この言葉を聞いた時、私が学生の時恩師利井興隆(かがいこうりゅう)先生から聞いたお話があざやかに胸に浮かんで来ました。

 真崎甚三郎氏と言えば、昭和11年、春まだ浅き2月26日、寒風身にしみ白雪暁天に舞う帝都に、血気にはやる青年将校に指揮された近衛師団によって首相官邸及び重臣の邸宅が襲われ、血潮に彩られた二・二六事件の時の陸軍大将で教育総監でありました。かって陸軍士官学校の校長を歴任された真崎さんは、かねてよりこれらの青年将校に信望が厚かったのです。

 そこで今度の事件の後(うしろ)に、真崎さんが青年将校をあやつったという疑いをかけられて、陸軍大将は予備役となり、教育総監の地位を追われたのみならず、未決囚として巣鴨の刑務所につながれました。

 佐賀の浄土真宗の信仰の厚い家庭に育たれた真崎さんは、獄中の悶々たる情を癒す為に、親鸞聖人のお言葉をお弟子の唯円房が編集された歎異抄を巻き返し繰り返し読んで、信仰をますます深めて行かれました。裁判の進むうちにやがて無実が証明され、巣鴨を出て故郷の佐賀に帰る途中、大阪に降りて、利井先生を訪ねられました。利井先生が、

「真崎さんよかったですね、今日の喜びを記念して書を交換しましょう。私も書きますから貴方も書いて下さい。」と言われた時に真崎さんは筆を取り墨痕鮮やかに

「難抜(ぬきがたし)南無六字の城」と書かれて愚真書と記されました。これは頼山陽先生の石山合戦をうたった詩の一節であります。

 「真崎さん、この愚真とはどういうことですか」と問われたときに、
 「それはおろかな真崎ということであります。世間の人は陸軍大将とか教育総監とか言えば一きわ偉い人間とか思うかも知れませんが、この真崎は仏様の前には、誠に愚かな頭の上がらぬ奴でございます。」と答えられました。

 86才の、字も書けなければ読む事も出来ない先のおばあさんと、真崎大将と比べてみれば、人間の社会で大きな隔たりがあっても、信心の世界では全く同じだということをしみじみ感じました。信心平等なるが故に浄土で開くさとりも同じなのであります。このことを「凡聖逆謗斉(ひと)しく廻入すれば、衆水海に入りて一味なるが如し」と讃えられました。

三 恵まれた信心

 今この四句の言葉を見つめた時に、僅(わず)か4句の中に一という字が2ヶ所も使われてあります。即ち「能発一念の一」、「海一味の一」であります。一念の一は「無二」という意味のほかに速(すみや)か、速いということも表しています。

 親鸞聖人は教行信証の信の巻きに、一念を解釈して、「一念はこれ信楽(しんぎょう)開発(かいほつ)の時剋(じこく)の極促(ごくそく)を顕わす」と仰せになりました。これは法をいただく「最初」ということのほかに時間の非常に短い、一思いの間ということでもあります。一味とは申すまでもなく一つの味に住するということで平等を表しています。

 速いということと平等ということは何を意味しているのでしょうか。それは共に本願他力のめぐみということを表しているのであります。自分の力で作って行くならばどんな些細な物でも時間がかかります。又自分自分で作るならば、どんなに似ていても違いがあります。しかし出来上がったものを頂戴するならば、何の手間ひまもかかりません。又出来上がったものを頂くのには、誰が頂こうと皆同じです。

 従って一念一味ということは他力の恵みを表しているのです。思えば煩悩を持ちつつ、やがて平等一味の仏のさとりを開くということは全く本願他力の賜であるということが明らかに知らされます。

 思うに仏教は時代が経つにつれて、小乗仏教より大乗仏教へと、広さと深さを増して発展して来ました。その目指すところは、どのようにして速やかな救いと平等のさとりを達成するかにありました。それを思う時に、親鸞聖人が信心利益を

  能発一念喜愛心 (すみやかなる救い)
  如衆水入海一味 (平等の救い)

と詠われましたことは、大乗仏教の到達すべき最高の極致を示したものと言えます。それは取りもなおさず、浄土真宗こそ大乗仏教の頂点に立っていることを表しているのであります。

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