第十四章 善導章

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪
光明名号顕因縁 開入本願大智海
行者正受金剛心 慶喜一念相応後
与韋提等獲三忍 即証法性之常楽

善導独り仏の正意を明らかにせり。定散と逆悪とを矜哀して、
光明・名号因縁を顕わす。本願の大智海に開入すれば、
行者まさしく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応してのち、
韋提と等しく三忍を獲、即ち法性の常楽を証せしむといえり。

 善導大師独り正しく観無量寿経を解釈して、お釈迦様の正意を明らかにされました。定善と散善を修める自力修行の善人も、また五逆や十悪の罪を犯した悪人も共にあわれんで、光明と名号のいわれを顕わして、他力をお勧めになりました。本願のいわれを聞き開いて他力に転入した人々は、正(まさ)しく金剛堅固の信心を頂いて、必ず救われるという一念の喜びによって仏のみ心にかなう時、韋提希(いだいけけ)夫人(ぶにん)と等しき喜忍(きにん)・悟忍(ごにん)・信忍(しんにん)という真如の徳を恵まれて、やがて浄土に生れ永遠のたのしみのさとりを開くのであるとお説きになりました。

一 善導大師の足跡と勲功

 善導大師は紀元613年に隋の煬帝(ようだい)大業九年に泗州(ししゅう)に生れて、隋唐の時代に活躍された方であります。それは今から約1300年前で日本では聖徳太子の活躍された頃であります。この時代は先に天台大師智顗(ちぎ)、浄影寺(じょうようじ)慧遠(えおん)大師・嘉祥寺(かじょうじ)吉蔵(きちぞう)大師等のすぐれた学匠が出られて、法難の為に衰微した仏教復興につとめられました。また、隋の煬帝等の皇帝もこれに尽くされましたので、正に中国仏教の黄金時代と言われてその全盛をきわめました。

 そうした中に誕生された善導大師は、若くして仏門に入り、戒律を中心とする律宗に身を置き道宣律師に学ばれました。大変自己に厳しく、一生、お湯に入る以外は法衣を脱がず、又道を歩かれる時には、目を上げて女人を見ずと伝えられています。長安の城外、終南山に居住されましたので終南(しゅうなん)大師ともいわれ、また長安の光明寺に住されましたので、光明寺の和尚(かしょう)とも称されています。道綽禅師の晩年80才を過ぎられた頃弟子になり、浄土教を学ばれました。

 如何なる悪人も、本願名号の働きによって救われるという他力の易行の道を自らも信じ人にも伝えながら、己を持すること誠に厳しく、清僧の誉れ高かったことは私達は見落としてはならない大切なことであります。これは善導大師のみならず七高僧方には等しく言えることであります。それは本願の光に照らされて、浅ましい我が身が見えれば見える程自(おのず)とたしなみ、つつしみが深くなるのは自然の道理であります。

 ここで私達がよくよく注意しなければならないのは、どんな者でも救われるということは、どんなことをしてもよいということでは決してありません。浄土真宗では昔から、造悪無碍(むげ)の異安心と言われる一群の信仰の間違った人々がありました。それはどんな悪人でも救うて下さる本願だから、どんな悪いことをしてもよいという受け取り方をした人々です。

 あるおばあさんがお寺に詣りました。家を出る時は古びた下駄をはいて出ましたが、帰って来た時は新しい下駄をはいていました。お嫁さんが、
「おばあさん、下駄をまちがったね。」
と言うと
「私が一番先に本堂を出たら、そばに新しい下駄があったので、はいて帰りました。」
「おばあさん、お寺参りする人がそんな事をしたら・・・」
「こんな欲の深いばばあをお目当ての本願じゃ。」
と、これは極端な話で事実あったとは思われません。けれども真宗門徒の生活態度を風刺して作られたものであることに留意しなければなりません。

 私達はややもすればこれに類して本願に甘えるような心が動かないでしょうか。蓮如上人は、

 わが心にまかせずして心を責めよ、 御文章p1248
 そのままわが心にまかせば、かならずかならずあやまりなるべし。御文章p1175

と、お諭しになっておられます。利井鮮妙和上が、

  子の罪を 親こそにくめ にくめども 捨てぬは親の情けなりけり

と、詠まれましたが、子の罪を心の底から憎み悲しむのは親であります。憎み悲しみつつなお捨て切れないのが親の慈悲で、この親心が本当に解ったら、どうして本願に甘えることができるでしょうか。七高僧始めその他の高僧方が他力のみ教えを説きながら、常に自らに厳しかったことを見忘れてはなりません。私達も本願を仰ぎながら自らの行ないを慎み、たしなんでいくべきでしょう。そこにこそ、本当の念仏者の風格があると言えます。

 昭和43年、鹿児島組西寿寺の開基住職佐々木教正法師の二十五回忌と後継住職村永行善法兄の住職披露の法要が行われました。その時、後継住職の挨拶の中に亡きお父さんをしのんで、次のような話をされました。

「門徒の或る方が『私は親鸞聖人の教えは解らなかったけれども、あなたのお父さんの言われることだから素直に聞いてきました』と。」
 私はその言葉を感銘深く聞き、今も頭に鮮かに残っています。又、村永さんはこんなことも私のお寺の勉強会の時に言われました。
「私はお寺に生まれ、龍谷大学を出ましたが、僧侶になるのがイヤでイヤでなりませんでした。ところが或る日、亡き父の日記を見て僧侶になる決心がつきました」と。

 私は佐々木教正法師に一度も面識はありませんが、これらの言葉を通してその風格が、なつかしく慕われます。そうして、み教えはどんなに立派であっても、人によってのみ伝わるという言葉が、しみじみ思われるのです。

 善導大師の行跡を忍びながら、少し話が横にそれたようでありますが、大師の勲功はお釈迦様のお説きになった『観無量寿経』を正しく解釈して、お釈迦様の正意を明らかにされたことであります。前の章に述べましたように当時は、末法時代に入って、人々の心に悲観的な暗い影がさしていました。

 その中に末法の人々の為にと説かれた『観無量寿経』は、当時の学匠方にもてはやされて、これらの学匠はこぞって『観無量寿経』の註釈に手を染められました。先に申しました天台大師や慧遠大師等がそれらの代表的な方々であります。

 しかし、『観無量寿経』は他力を説かれたお経でありますがこれらの人々は、自力の教えに立っておられます。従って、自力の色眼鏡をかけて他力のお経を見られたので、その正意を見誤られたことも止むを得ないことであります。

 それについて今少し述べますと、『観無量寿経』は表には定善と散善の自力の教えが説かれて、裏に他力のお念仏が説かれているのです。これは偏に、自力の人々を他力に導き入れる為のお釈迦様の巧みな説法であります。

 定善の十三観とは心を一つの境に注いで、お浄土のみ仏の姿を観察して心を清め、さとりに近づこうとする教えです。次に散善とは、こうした浄土及び仏を観察することのできない凡夫の為に、悪をやめ善を修めて仏に近づこうとする教えであります。

 この散善には凡夫の姿を、九つの種類に分けられています。上品上生(じょうぼんじょうしょう)、上品中生、上品下生、中品上生(ちゅうぼんじょうしょう)、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生であります。

 その中、上品上生から中品下生までが善凡夫であり、下品上生から以下が悪凡夫であります。この下品下生の悪凡夫、即ち一生の間一つの善もなく悪ばかり造った人がいよいよ臨終迫った時に、その造った罪におののき苦しむのです。その時良き師が現れて、この人の為に色々の妙法を説いて仏を念ずることを勧められました。けれども苦に逼められて念ずることができません。

そこで、
「汝、もし念ずる事ができなければまさに無量寿仏の御名を称えよ」
と、称名を勧められました。そこでこの人は勧められるままに、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」
と、十遍、称名する事によって、八十億劫という長い間の罪が消されて、やがてお浄土に救われてゆきました。

この一段に来た時に、先の聖道自力の学匠たちは、その解釈に行き詰ってしまったのです。こんな極重の悪人が臨終迫って苦しまぎれに十遍の称名をしただけで真実のお浄土に生まれゆく筈はないと。

 ここにこのことについて二つの解釈が生まれたのです。一つは天台大師智顗(ちぎ)、浄影寺(じょうようじ)慧遠(えおん)大師、嘉祥寺(かじょうじ)の吉蔵(きちぞう)大師などは、どうせこんな悪人が十遍ぐらいの称名で参るお浄土だから、たいした浄土ではない。凡夫と聖者が一緒にいる非常に劣った浄土で、娑婆とそう変わらない方便化土であると説かれました。

 今一つは、この考えに対して天親菩薩の兄、無着菩薩の書かれた摂大乗論によって成立している摂論宗(しょうろんしゅう)の学匠達(がくしょうたち)や、法相宗の開祖慈恩(じおん)大師等が、別時意趣(べつじいしゅ)だと主張されました。

 別時意趣とはお釈迦様の説法の方法の一つで、これを観経に当てはめて解り易く申しますと、お浄土は阿弥陀仏の本願によって出来上った世界であるから、真実の勝れたお浄土であるが、一生悪を造ったような悪人が十遍位の称名で浄土に往生できる筈はないけれども、この十遍の称名によっていつか遠い将来に浄土に参る因縁が結ばれたのである。それを、人々を導く為に、今すぐに次の生で浄土に生まれるように説かれたのであります。例えば一円の金はすぐには千円にはならないけれど、それを積み重ねることによっていつの日にか千円になることをすぐに千円になるように説かれたものです。

 この二つの学説によって長安の都からは、お念仏の声が絶えたと申されています。こうした時代に善導大師が出られて『観無量寿経』を正しく解釈されて、お釈迦様の正意を明らかにされたのであります。すなわち下品下生の悪凡夫も、十遍の称名によって必ず直ちに、最も勝れた真実の浄土に往生すると説かれました。その書が有名な四帖の疏といわれている『玄義分』、『序分義』、『定善義』、『散善義』であります。

 これによって古今の学匠達の誤りを正されました。従ってこれを古今楷定(ここんかいじょう)の妙釈と讃えられています。この書を書くに当って、夢の中に浄土や仏、菩薩の姿を観察されて、『観無量寿経』の文章を分類される時には、夜な夜な一人の僧が枕元に現れて指示されたと、自ら述べておられます。これは善導大師が、この書を解釈するに当って、仏菩薩の加被力(かびりき)を乞い、ひたすら私心を離れて仏の心を仰ぎつつ書かれたということが伺われます。

 さて、天台大師、慧遠大師などが観経の下品下生の一段に説かれる、「悪凡夫が十遍の称名によって往生する浄土は、凡夫も聖者も同居する世界であって、この娑婆世界とはあまり変わりばえのしない劣った浄土、即ち方便化土である」と説かれたのに対して善導大師は、「この浄土は阿弥陀仏の衆生を救うという本願によって建立された浄土であるから、最も勝れた真実の浄土である」と主張されました。

 また、摂論宗(しょうろんしゅう)の学者や法相宗の慈恩大師などは、往生するには必ず願と行が具わらなければならないけれども、観経に説かれている下品下生の凡夫はただ願だけで行はない、従って別時意(べつじい)であると主張されたのであります。けれども既に十遍の称名を称えているから行があるではないかという不審に対して、摂論宗の人々は称名はしていてもただ救われたいという願いが口に表われているにすぎないから、行という名に値しない。従って、どんなに称名しても願だけであって行はない。即ち唯願無行であり、その凡夫が往生すると説かれているのは、別時意趣であると断定されました。この摂論家や法相宗の学匠達の別時意趣説に対して二つの理由をもって、善導大師はこれを斥けられました。

 その一つは既に阿弥陀経にもしは一日、もしは二日乃至七日の称名をもって命終る時、心は転倒せずして仏菩薩のお迎えを受けて、浄土に往生すると説かれていると示して、汝は菩薩(唯願無行は別時意趣であると説いた無着菩薩)の言葉を信じて、仏の言葉を信じないのかと厳しく戒められました。

 また、下々品の凡夫の称名は願だけで行がないという主張に対して、有名な南無阿弥陀仏の六字の解釈をもって、願、行が具わっていることを明らかにされました。即ち、南無阿弥陀仏の南無の言葉には、帰命と発願廻向の謂われがあると示し、阿弥陀仏はその行であると説かれて、六字の名号には願行が円かに具わっていることを明らかにされました。この名号を心に領解したのが信心であり、口に表れたのが称名であります。従ってこの称名には願と行が具わっているので、決して唯願無行ではないと説かれて、称名で真実の浄土に生れることを明らかにされたのであります。

 思うに天台大師や慧遠大師など、又法相宗の学匠達が観経の解釈を誤られたのは、下品下生の悪凡夫の称える称名を、自力の称名とみられたからです。もしこれを自力とみるならば、こうした解釈になるのも当然であります。今、善導大師が下品下生の悪人が十遍の称名で往生できることを明らかにされたのは、称えた力でなく称えしめた名号願力の力によるもので、他力の称名であると、お釈迦様の真意を見抜かれたからにほかなりません。

 自力聖道門の学匠達が自力の心にとらわれて観経の正意を見失われたのに対して、善導大師一人が、お釈迦様の真意を見抜かれたのであります。このことを今、親鸞聖人は、

  善導独り仏の正意を明らかにせり

と讃嘆されました。

二 他力の救いを示す

矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁 

 聖道門の自力の学匠が、『観無量寿経』下品下生の悪凡夫の称える称名を、自力の称名とみてお釈迦様の正意を見失ったのに対して、今、善導大師はこの悪凡夫の称える称名は他力の称名であると鋭く見抜かれて、お釈迦様の正意を明らかにされました。

 よって今、この二行は他力の救いを具体的に示されたものであります。即ち、定善を修める聖者も散善を修める善凡夫も、また五逆や十悪を造る悪凡夫も共にあわれんで、光明名号の謂(いわれ)を明らかにして全ての人々が救われてゆく他力のみ教えを勧められたのであります。

 定善と散善とは先に説明した通り、み仏並びに浄土を観察してさとりに近づこうとする聖者(定善)、また、この観察のできない人々が悪を止め善を修めて、仏に近づこうとする善凡夫(散善)であります。それに対して逆悪とは正に、地獄の業である五逆罪や十悪を造る悪凡夫であります。

 五逆とは父を殺し母を殺し、教団の和合を破り、羅漢(らかん)(さとった人)を殺し仏身(お釈迦様)より血を流す悪業であります。

 十悪とは心に犯す貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三毒の煩悩、それから口に犯す両舌(りょうぜつ)(二枚舌)・悪口・妄語(まことのない言葉)・綺語(飾り言葉)の四つの悪、身に犯す殺生(ものの命を取る)・偸盗(ものを盗む)・邪婬(邪まな男女関係)の三つの悪業であります。今、自力修行の人々も、悪より悪に入り、暗きより暗きに彷徨(さま)う悪人も共にあわれんで、偏に他力の謂われを説いて勧められました。

 ここで、悪人を憐れむということはよく頷けますが、自力修行の聖者や善凡夫を憐れむとはどういうことでしょうか。それは、これらの人々は己が善根に心がくらみ、み仏の大悲を見失っているからであります。

 親鸞聖人は、定善や散善を修めている人々を、疑心の善人といわれて、これらの人々は、方便化土に往生すると仰せになりました。折角、善をしながら大悲を見失い方便化土に生まれるとは、哀れむべき悲しいことであります。それにつけても、浅ましい凡夫である私達がみ仏の大悲に目覚め、本願を信じ念仏しながら真実の浄土への道を歩むことは、まことにこの上ない喜びと言わねばなりません。

 ちなみに方便化土とは浄土の中の一部でありますが、ここでは五百年間、仏を見ることも出来ず、又仏の説法を聞くこともできません。それは七つの宝を散りばめた牢獄に、金銀の鎖でつながれたようなもので、仏智を疑った罪の報いによるものであると説かれています。

 次に、光明名号の謂われについては、先に第三章、第四章で詳しく述べましたが、本願他力の救いとは、光明名号の働きのほかありません。光明の働きは調熟(ちょうじゅく)(お育て)と摂取(せっしゅ)の二つであります。調熟とは仏に背き真実に背いて、逃げよう逃げようとしている私の上に働いて、楽しみ喜んで仏法を聞く身に育てられることであります。即ち聞法の姿のままが、大悲の光明に触れ大悲の光明に育てられているのであります。

 本年(昭和56年)1月12日歎異抄の集いの夜の事でした。お話し終った時に、会員の阿多鈴子さんが、

「先生お寺詣りって、本当に不思議ですね、実は今晩、こんなに寒いし、雨混りの天候でその上少々風邪気味なので休もうかと思いました。けれども最近、伊集院町の叔父が、かりそめの病ではかなく死んだことを思い出し、こんなことではいけないと心に言い聞かせてお詣りしました。そうして今帰る時は、本当にお詣りしてよかった。炬燵に入ってテレビを見ていたよりもと、しみじみ感じます」

私は、この言葉を聞いた時、

「そうですね。それはこうして御縁に会っているままが、仏様の大悲に触れ育てられているのですからね」

と話したことでした。

 次に、名号の働きとは智恵の眼がつぶれて、修行の足が立たない私に代わって、仏になるべき願も行もあらゆる功徳を南無阿弥陀仏の名号に、円かに具えて、その功徳のありたけを本願の呼ぶ声として私に届けて下さるのであります。親鸞聖人はこれを「本願招喚の勅命を聞く」と仰せになりました。この如来の呼び声に目覚め如来の大悲にお任せする時、ここに私は摂取の光明に抱かれて、必ず浄土に生まれて仏のさとりを聞く身にならせていただくのであります。

 すれば私達が、本願の義(いわれ)を聞くことも信ずることも、浄土に生まれゆくことも全て、本願他力の働きのほかありません。ここに善導大師は、己が善根に心を奪われ、また悪より悪にさまよう悪人、即ち大悲を見失っている人々を憐れんで、光明名号の働きによる他力の救いを明らかにされたのであります。この事を意訳には、

  自力の凡夫あわれみて、光とみ名の因縁(いわれ)説く

と、讃えられています。

三 他力の利益

開入本願大智海 行者正受金剛心 
慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍 
即証法性之常楽

 光明名号による他力の救いを明らかにされましたので、この本願他力による現在から未来にわたる利益を讃嘆されたのが、この五句の言葉であります。

 「開入本願大智海 行者正受金剛心」とは、南無阿弥陀仏の名号の義(いわれ)を聞き開いて自力を捨てて本願他力に転入した人々は、金剛石のような堅固な信心を恵まれると説かれたのであります。自力を捨てて他力に入る姿を親鸞聖人は、「雑行を捨てて本願に帰す」と、お述べになりました。このお心は凡夫の自力の計いの不完全さに目覚めて、完全なみ仏のお計いにお任せするということであります。

 ここに、自力を捨てて他力に転入する理由があるのです。人間は完全なるもの、即ち真善美の世界を求めながら、いやそれを求めれば求める程、自分の不完全さに気付いてゆくでしょう。人間は所詮、どこまでいっても不完全なるものであることを免れません。それゆえにこそ親鸞聖人は、自力を捨てて他力の本願の世界に転入されたのであります。それによって恵まれる金剛の信心について、こんなお話が伝えられております。

 本願寺のある年の安居(あんご)に、原口針水(はらぐちしんすい)和上が本講師をつとめられました。その講義の中に、自力の信心と他力の信心を比較されて、

「自力の信心の脆(もろ)きこと、歯の如し。他力の信心固きこと、舌の如し」
と言われました。お弟子達がこれを聞いて、例えを取り違えたのであろうと講義の後で和上を訪ねられ、
「今日の講義、まことにありがたい、よく解るお話でしたが、例えを一つ取り違えられたと思います。」
と、今の言葉を引いて、
「あれは自力の信心の脆きこと、舌の如し。他力の信心の固きこと、歯の如しではないでしょうか。」
と申し上げたら、

「いやあれは、あのままでいいのだ。よく考えてごらん。歯は固そうであるけれど根が肉に張っているだけだから、やがて折れもすれば抜けるであろう。舌は柔らかそうであるが体の一部であるから、決して抜けもしなければ落ちもしない。自力の信心は固そうに見えるが凡夫の自力の計いよりなっているので、崩れもし壊れていく。それに比べて他力の信心は、弱そうには見えてもみ仏の、衆生を必ず救う、という金剛の親様のまことが凡夫の上に届いたのであるから、決して崩れもしなければ壊れもしない。」

と、諭されました。私は学生の頃、父のお説教で聞いたこの話しが、鮮やかに頭に残っています。

 崩れない、壊れない金剛の信心とは、凡夫の計いで思い固めるのではなくて、いつ思い浮かべても往生は一定、御たすけは間違いなしと本願を仰ぎ、又浅ましい自分の姿が見えるにつけても、こんなことではと心配するのではなくて、こんな奴をお救いの御本願といよいよ大悲を仰いでゆくのであります。これを金剛堅固の信心と仰せになりました。

慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍
即証法性之常楽

 この三句は、往生は間違いなしと喜ぶままがみ仏の喜びであり、み仏のみ心にかなうのであります。従って韋提希夫人が、お釈迦様のお計い即ち加被力(かびりき)によって空中に住立(じゅうりゅう)したもう阿弥陀如来のお姿を拝見して、八地以上の菩薩がさとる無生法忍(むしょうぼうにん)という真如のさとりを得て喜忍、悟忍、信忍の徳を頂いたように、今真如にかのうた南無阿弥陀仏の名号を聞く時に、韋提希夫人と同じく喜忍、悟忍、信忍の徳を頂くのであります。

 喜忍とは往生一定の喜びであり、悟忍とは悟りを開くに定まることであり、信忍とは本願を信ずることであります。このような徳を今恵まれますので、命終わった時に永久に変わらぬ真の楽しみをさとらせて頂くのであるとお説きになりました。

 これを言葉を換えて申しますと、名号の義を聞き開いて信心の徳として三忍を頂くとは、煩悩を持ちながらほのかに真の世界を感知させていただくということではないでしょうか。

 昭和52年9月、私の寺の本堂落成を記念して若婦人の真宗教室を開きました。まる4年経過した今日、ようやくこれらの人達が私の話を吸いついて聞くようになられたなあと感じられた時に、会長の久保きよかさんが、

「真宗教室でお勉強させて頂いたお陰で、車にかけていたお守りが気安めであるということを解らせて頂きました。それで私は、お守り札をはずしました。」

 私はこれを聞いて、正しいみ教えが身についてくる時に、おのずと人生の真の道理が見えてくるのを感じたことです。今、親鸞聖人が信心に目覚めた人に韋提希夫人と等しく三忍を得ると讃えられたのは、ただ言葉の上だけのことではなくていただいたみ教えが私達の日常の生活の上にいきいきと働くことを知らされたのです。