輝く讃歌/賞雅哲然 目次
第三章 光の中に
普放無量無辺光 無碍無対光炎王
清浄歓喜智慧光 不断難思無称光
超日月光照塵刹 一切群生蒙光照
普(あまね)く無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、
清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、
超日月光を放ちて塵刹(じんせつ)を照す。一切の群生、光照を蒙(こうむ)る
四十八願を成就して仏の座につかれた阿弥陀如来の光明は、何時でもどこでも誰の上にも注がれています。(無量光無辺光無碍光)。過去現在の罪を消し(無対光炎王光)欲の心、腹立ちの心、愚痴の心をいやして(清浄光歓喜光智慧光)絶えることなく、常に照らし(不断光)浄土に生れて仏になさしめ(難思光無称光)月日に超えて内の煩悩を照らすのです(超日月光)。
このような十二の徳を具(そな)え給うのであります。この光を普(あまね)く放ちて煩悩の塵の渦巻く迷いの世界を照らし給う。生きとし生くる者、光の恵みを受けない者はありません。
一 いつでも何処でも誰の上にも
衆生浄土に往生せずば我も仏にならじと誓い給いて、その本願を円(まど)かに成就して仏の座につかれた仏(阿弥陀仏)の果徳、即ち光明名号の働きを讃嘆されたのが「普放無量無辺光」より「必至滅土願成就」まで5行10句の言葉であります。
さすればみ仏は光明名号の2つの働きを以て衆生を救済し給うのであります。「普放無量無辺光」より「一切群生蒙光照」までの3行6句の今の言葉は、先ず光明のお徳を述べられたもので阿弥陀仏の光明のお徳は無量でありますが、今親鸞聖人はお釈迦様の教えによって、十二通りの徳に収めて讃嘆されました。その十二通りの徳の中、中心的なものが、最初にかかげられた無量光無辺光無碍光の3つのお徳であります。
無量光とはみ仏の光明は時間に限りがなく、無辺光とは空間に限りがなく、無碍光とはこの光明を遮(さえぎ)るものはないということでありますので、何時でも何処でも、誰の上にも平等に注ぎ給うのであります。従って私達はみ仏に背いてどんなにあがいても、この光明の中から一歩も外に逃げ出すことは出来ません。
これについてこんな面白い話が説かれています。
西遊記で有名な三蔵法師が、中国よりインドに仏教を学びに行った時、お伴の一人に孫悟空がいました。これはお猿のお化けで、五百年間山に籠もって修行し、神通力(不思議な力)を身につけました。得意になった孫悟空はお釈迦様に力くらべを申し込んだのです。
「あなたは仏の悟りを開いて、神通力を身につけられましたが、私は五百年の修行によって神通力を得ました。どちらが勝れているか力くらべをしようではありませんか」
お釈迦様はにこにこしながら
「ではお前の神通力でこの私の手のひらから飛び立ってごらん。」
孫悟空はそんな事は造作もない事と頭の毛を三本抜き取り、息を吹きかけるとその毛はたちまち金頓雲という雲に変わります。この雲は実に速いのです。今のジェット機どころのさわぎではありません。一気に数千万里も飛び去りました。ここまで来ればどんなにお釈迦様の手のひらが広くとも、もう大丈夫と思い、手をかざしてみると、遥か雲海の彼方に一つの棒が立っています。孫悟空はその棒に目印をつけて、得意になってお釈迦様のところに帰ってきました。
「お釈迦様、私は一気に数千万里彼方に飛び去りました。あなたの手のひらどころではありません。」 するとお釈迦様は
「それには何か証拠があるか。」と仰せられました。
「ハイ遥か雲海彼方に立っている棒に目印を付けて参りました。」
「その棒はこれと違うか。」と人さし指を示されました。そこには確かに孫悟空の付けた目印があります。孫悟空は結局お釈迦様の親指から人さし指の間を飛んだにすぎなかったのです。
このお話は何を教えているのでしょうか。私達はどんなに足掻(あが)いてももがいてもみ仏の慈悲の光明の中から一歩も外に逃れることは出来ないということであります。
私はこの頃ふと思うのです。よくお寺や仏法の悪口を聞くことがありますが、昔はそんな時、すぐ腹が立って、”お寺参りもせず、仏法も解らず、えらそうな事を言うな、もし言いたければ仏法を聞いてから言え”と心の中で反駁(はんばく)しました。
然しこの頃は、そんな言葉を耳にした時に私は”あの人達は何処で仏様やお寺の悪口を言っているのか・・・”それは仏様の手のひらの上で、仏様の慈悲の光に抱かれながら悪口を言っている。どんなに悪口を言っていても、その人の上にも、み仏の慈悲の光が限りなく注がれている。だから何時かはそれに必ず目覚めるであろうと思う時に、そうむきに腹が立たなくなりました。
親鸞聖人がみ仏の光明を讃えて、先ず最初に無量光無辺光無碍光と仰せになった言葉に限りない深さと温かさを感じます。
二 光に育てられて
光明の働きは十二通りに示されていますが、更にこれを要約しますと、調熟(ちょうじゅく)と摂取(せっしゅ)の二つにおさまります。即ちみ仏の光明は何時でもどこでも誰の上にも働いて過去、現在の罪を消し、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三毒の煩悩を癒(いや)し、常に照して絶えることはありません。また衆生を浄土に往生せしめ、仏にならしめ給い、内なる煩悩を照し給うのであります。私達は、この光明の働きによって本願を信じ、念仏する身に育てられるのです。
私達は先にも述べましたように、仏に背き真(まこと)の教えに背いて逃げよう逃げようとしています。お寺参りと、遊びに出かける時とはどちらが足が軽いでしょうか。お寺にお参りしようと思っていても、少しの用事が出来るとそれにかこつけて次に延ばそうとします。遊びに出かける時は万障繰り合わせて足も軽々と出かけます。
また折角お寺にお参りしても、お話が少し硬くなると上の瞼と下の瞼がつい仲良くなり、お話が終れば途端に目がさめて、新しく来た隣のお嫁さんの噂話になると目が活き活きと輝いて来ます。昔からお説教聞きながら居眠りする人はありますが、世間の噂話を聞きながら居眠りする人はありません。
こんな事を思うと私達の自性(じしょう)は、仏様が好き、仏法が好きとは言われません。それは何故でしょうか。皆さん達は汽車旅行された時に展開して行く風景の中で、何が一番目に止り、心魅(ひ)かれるでしょうか。私は僧侶でありますから村落の中に聳(そび)えるお寺の甍(いらか)であります。農業される方はおそらく稲や麦の成長ぶりであり、又山林に携(たずさ)わる人には、樹木の育ちぶりでしょう。このように私達は因縁の深いもの程、心がひかれて行きます。
私達は曠劫流転(こうごうるてん)と長い長い間迷いの世界をさ迷い続けて来ました。従って迷いの方には縁が深いから心魅かれますが、真実の悟りは未だ一度も経験した事がありません。従って縁がないから悟りを開く仏法にはなかなか心が魅かれないのであります。
「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里(きゅうり)は捨て難く、
未(いま)だ生れざる安養の浄土は恋しからず候」 (歎異抄第九条)
み仏の光明は、聞法を通してこのような私の上に働いて楽しみ喜んで仏法を聞く身に育て上げて下さるのです。これを宗教的成長と言います。それは具体的なはどういうことでしょうか。
一つは、我が身は悪しきいたずら者と自分の姿が見えて来ることであります。人間は昔から言われるように目が前についているから、人の欠点はよく目につきますが自分の欠点はなかなか気付きません。その私が聞法によって育てられて行く時に、自分のいたらなさ、欠点がおのずと見えて来ます。
二つにはその欠点に気づいていくところ、温いみ仏の慈悲が懐かしく味わえて来ます。それはそのままみ仏の慈悲の光に触れることであり、慈悲の光によっていよいよ浅ましい我が身を知らされます。
光明の働きによって自己の浅ましさと大悲に目覚めて行く過程を調熟(ちょうじゅく)といい、浅ましさの自覚の中に大悲に抱かれ、大悲に生きる喜びを摂取(せっしゅ)と説かれました。その摂取の風光を更に次の節で掘り下げて味わって見ましょう。
三 摂取の風光
親鸞聖人は、み仏の光明に摂取される風光を和讃に次のように詠われています。
金剛堅固の信心の
定まる時を待ちえてぞ
弥陀の心光摂護(しょうご)して
永く生死をへだてける
このお意(こころ)は、聞法によってみ仏の大悲に目覚め信心決定(けつじょう)する時に、間髪を入れず弥陀如来のみ仏の光明に摂取されて、もはや自分の力で迷いの世界に沈もうとしても沈む事の出来ない身にならして頂いたということです。
これは大変有り難いご和讃でありますが、私はかってこの和讃を拝読した時に一つの不審を感じました。それは先にも申しました通り、み仏の光明は何時でも何処でも、誰の上にも平等に照らし給うと言うことと、信心決定した時に初めてみ仏の光明に摂取されるということの矛盾であります。これはどのように理解すればよいのでしょうか。
それはたとえて申しますと、子供が母の慈愛の手に抱かれながら、眠っている時に、恐い夢を見てうなされているとします。その時子供は母の腕に抱かれている事も知らず、悪夢の中に戦(おのの)いています。凡夫の私の姿はまさにこのような姿で、迷いの世界に在って、自己中心の心より或いは怒りの炎を燃やし或いは欲におぼれ、愚痴をこぼしながら悩み苦しんでいます。この姿を苦悩の衆生と説かれました。苦悩するままが大悲の光明の中なのであります。
しかし悪夢に戦く子供が母の胸に抱かれていることに気付かないように、煩悩の中に明け暮れしている私は、大悲の中にいることに気づかずにいるのです。この事を九条武子夫人は
抱(いだ)かれてあるとも知らず おろかにも我反抗す 大いなるみ手に
と詠われました。反抗すとは大悲の中にあることを知らず苦悩にさ迷っている姿をいうのです。この私が聞法を通してみ仏のお育てを受けることによって大悲に目覚めさせて頂くのです。これを金剛堅固の信心とも、或いは信心の智慧とも讃(たた)えられました。信心決定する時に、初めて光明の中に在ることに気づき目覚めさせて頂くのであります。この喜びを聖人は和讃に
煩悩にまなこさえられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり
と詠われました。