輝くいのち/賞雅哲然 目次
第十六章 救われる資格を恵まれて
先生、真宗の教えは有難いですね。創価学会では朝晩長い御経を読まないといけないそうですが、真宗では何もせずこのままの他力の救いですからね。
一、お浄土は悪人の集会所か
これは創価学会が折伏行進(しゃくぶくこうしん)を宣言して社会の注目を浴びていた頃の事です。うちの門徒の中にもあちらこちらで折伏を受ける人がいて、創価学会の動きには皆が注目をしていました。その頃或る法事の席上で、一人の男の人が私に話しかけた言葉であります。その時、時間がなくて充分に話し合う事ができなかったのでその事が気になり、帰りの途(みち)すがらこんな事を思いました。
ちょっと待ってください。何にもせずこのままの救いと言われますが、それをあなたはどの様に理解しておられるのでしょうか、お参りせずお話も聞かず、朝晩のお礼もせず、そんな姿を何もせずこのままの救いと受け取っておられるならば、またそれを他力の救いと考えておられるならば大きな間違いですよと。真宗の門徒の中には、他力の救いをこの様に考えている人は、意外に多いのではないでしょうか。
今日、何もせずに他力のおかげで甘い汁を吸う様な事を表現するのに、他力本願という言葉が平気で使われていますが、そうした誤解を社会に与えたことも、こうした所に原因があるのではないでしょうか。私達は他力本願の救いの本当の意味を理解する事が、最も大切な事と思います。
他力本願の救いとは決して今申しました様な、凡夫のままの救いではないと言う事であります。もし凡夫のままで参る御浄土ならば、御浄土とは正に悪人の集会所であり、ゴミ捨場同様と言わなければなりません。他力本願による救いとは親鸞聖人が、
“いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし”
と嘆かれた、何処を押さえても取柄の無い、正に煩悩に目鼻をつけた様な地獄一定の私に、み仏の本願力が働いて、私に浄土に生れて仏になるべき、かけめない立派な資格と徳が与えられて救われて行く、これが他力本願の救いであります。親鸞聖人は御和讃に、
五十六億七千万
弥勒菩薩(みろくぼさつ)はとしをへん
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし
念仏往生の願により
等正覚(とうしょうがく)にいたるひと
すなはち弥勒(みろく)におなじくて
大般涅槃(だいはつねはん)をさとるべし
信心よろこぶそのひとを
如来とひとしとときたもう
大信心は仏性なり
仏性すなはち如来なり
と述べておられます。まさに地獄より外に行き場のない私に如来の本願力が働いて、五十六億七千万という永い間、修行に修行を積んだ弥勒菩薩と同じ資格が与えられ、諸仏如来と等しい徳を今頂きますから、命終わった時に美しきみ仏とならせて頂くのであります。
この事を親鸞聖人は『教行信証』に、
「まことに知んぬ、弥勒大士(みろくだいじ)は等覚(とうがく)の金剛心(こんごうしん)を窮むるがゆゑに、竜華三会(りゅうげさんね)の暁(あかつき)、まさに無上覚位(むじょうかくい)を極(きわ)むべし。念仏の衆生は横超(おうちょう)の金剛心を窮むるがゆゑに臨終(りんじゅう)一念(いちねん)の夕べ、大般涅槃(だいはつねはん)を超証(ちょうしょう)す。」
即ち弥勒菩薩は仏になる五十二段の中、五十一段の等覚の位に至って金剛心を極められたから、必ず次の生に無上の仏の悟りを開かれる。念仏の衆生は他力の金剛心をいただいたから臨終、命終る時に仏の悟りを開かしていただくと。私達はややもすれば他力の救いと言えば安易に考えて凡夫のままの往生と考え易いのですが、この点くれぐれも注意しなければなりません。
では私達がどうしてその様な立派な資格と徳が与えられるのでしょうか。
“幾(いく)度(たび)も、お手間かかりし菊の花”
と言う句がありますが、私が命終って浄土に生れて仏の悟りを開かせて頂くのには、それだけの深い深い長い間の仏様のお育てのお手回しが有った事を忘れてはなりません。次にその事について述べてみましょう。
二、光明のお育て
親鸞聖人は私を救い給うみ仏の働きを、光(こう)明(みよう)と名号との働きであるとお諭しになりました。先ず光明の働きは調熟(ちょうじゅく)と摂取(せっしゅ)と説かれていますが調熟とは,私達を仏法を聞く身に育てる働きであります。私達は真如背反(しんにょはいはん)の存在といわれていますが、それは真実(まこと)に背き、み仏から逃げよう逃げようとしている存在なのであります。
どうしてそんな事が言われるのかという疑問も起ってきますが、私達の実際の姿は人をほめる言葉より、人をそしる言葉の方が快よく響いて参ります。昔から悪事千里を走るという諺はこの事をよく物語っています。この姿が真実(まこと)に背き、み仏に背を向けている姿であります。
また、お寺参りする時の足と、芝居見物や観光旅行に出る時の足とどちらが軽いでしょうか?折角お寺に参ってもお話しが真面目で少し堅(かた)いとついねむけを催し、お話が終った途端に目が覚め、世間の噂話になると目が生き生きと輝いて参ります。昔から、お説教聞きながらいねむりする人はあっても、お隣に来たお嫁さんの噂話を聞きながらいねむりする人はまずないでしょう。
こんな事を静かに考えてみますと、やはり私達の自性(じしょう)は仏様が好きとは思われません。そうした私に今、み仏の光明が働いてだんだんと楽しんで仏法を聞く身に育てられていくのです。それではそんな仏様の光明は何時何処に働いているのでしょうか?この事を思う時に私は、親鸞聖人の次の和讃が頭に浮んで参ります。
“光明てらしてたえざれば
不断光仏(ふだんこうぶつ)となづけたり
聞光力(もんこうりき)のゆゑなれば
心不断(しんふだん)にて往生す”
私は学生時代にこの御和讃を拝読した時に、おやおかしい、これは活字の誤りではないか?と思いました。それは聞光力という言葉であります。光明は見るべき物であって聞くべきものではない。だからここは見光力というのではないか?という不審でした。けれども、聖人があえて聞光力と言われたのには色々な深い思し召しと意味があったのでしょう。
その一つに聞法しているままが仏様の光明にふれ光明のお育てを受けている姿という事であります。静かに考えてみればまことに背き仏様に背を向けて逃げよう逃げようとしている私が、どうしてお寺に足を運び聞法の座に連なる事ができたのでしょうか?思えば不思議というほかありません。
あのひまわり草が、朝日が昇る頃は東の方を向いていますが、夕日の沈む頃はいつの間にか西の方に向いています。これは全く太陽の光の働きであります。私達が聞法の座に着く事ができるのもみ仏の光明の働きのほかありません。また聞法するままが光明のお育てを受けているのです。ここに他力のお手廻しという言葉がなつかしく響きます。この光明のお育てによって自ずと楽しんで、仏法を聞く身に育てられていくのであります。
私はこの事を思う時十数年前、私のお寺の保育園の保母前田陽子さんが、結婚した時の事を思い浮べます。お寺での式も終り、披露宴も終りに近ずき、新郎新婦は新婚旅行に出かけました。その時新婦のたった一人の妹の前田千代子さんがお姉さんの晴れ姿を見送りながら、
「先生、今、お姉さんの御恩が本当に解りました。」
と言って、こんな話をしてくれました。
「中学校を卒業して鹿児島の女子高に入った時にお姉さんに、あんたもお寺のYBAに入りなさいとすすめられました。けれども、土曜日と言っても学校から帰って身体は疲れています。それからお寺に行って二時間余りお経を読んだりお話しを聞いたりするのが大変だと思って断ろうとしました。お友達がないから、帰りが遅くなって一人で寂しいからと言った時、お姉さんが、では私も一緒に行って待っていて済んだら一緒に帰ってあげるから、と言われましたので、断る理由がなくなりました。月二回三年間、おつとめをして先生のお話を聞いているうちに、いつの間にか楽しんで仏様のみ教えを聞ける様になりました。思えば仏様を嫌って逃げようとしていた私が喜んでみ教えを聞く身にならして頂いた、これもお姉さんのおかげでした。」
と、涙ためつつ話してくれました。その時私は、み仏の光明のお育てをしみじみ感じた事でした。
三、名号のはたらき
南無阿弥陀仏とはどんな事でしょうか、これには三つのいわれがあります。
一つには久遠のいにしえから迷い続けた私を必ず救うと誓って立ち上がって下さったなつかしいみ親の名前であります。
二つには、迷いの私を浄土に生まれしめるすばらしい力であり働きであります。親鸞聖人は「お正信偈」に“本願名号正定業”と讃嘆されました。
三つには、私を必ず救う、と呼び給うみ仏の呼び声であります。
思えば永い間迷いの世界を流転してきたこの私。悟りの世界に生まるべき願も行も持たない私に、大悲のみ仏が代って願も行も起し、万善万行の功徳の全体を南無阿弥陀仏の六字の中に、成就してくださったのであります。蓮如上人は『御文章』に、
“それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、この六字の名号のうちには無上甚深(むじようじんじん)の功徳利益の広大なること、さらにそのきはまりなきものなり”
と述べておられます。すれば南無阿弥陀仏が十劫の古(いにし)えに成就された時に、私の生まるべきことわりが既にでき上がったのであります。この事を親鸞聖人は、
“四十八願成就して
正覚の阿弥陀となりたもふ
たのみをかけしひとはみな
往生かならずさだまりぬ”
と述べておられます。私が往生すべき理(ことわり) は、十劫の古えにでき上ったのでありますが、それを今日迄迷い続けてきた事は、み仏の方にでき上った功徳のありたけを、私が頂かなかったからであります。
ではみ仏はその功徳のありたけを、どうして私に届けてくださるのでしょうか、それは、本願招喚の勅命として私に届けられるのであります。本願招喚の勅命とは、み仏の呼び声であります。すれば仏の方に成就された功徳のありたけは、呼び声として私に届けられます。その呼び声を聞いて全てをお任せする所に、仏の命と力のありたけが、私の命と力となるのであります。これを蓮如上人は、
“南無阿弥陀仏の主に成るなり”
と仰せになり、この南無阿弥陀仏の働きによって今迄つくった悪業煩悩の迷いの業が断ちきられて、必ず仏になるべき位に定まるのであります。これを正定聚(しょうじょうじゅ)の人と讃嘆されました。
四、仏に呼ばれ仏の国へ
私はこの事についてこんな場面を仮に想定してみました。
ある御同行が私に、
「今日のお話しは大体よく解り有難く聴聞しましたが、一つ解らない所があります。み仏はでき上った功徳のありたけを呼び声として私に届けられると説かれましたが、そんなみ仏の呼び声は、いつからどこに響いているのでしょうか。その呼び声が聞こえたら私は文句なしに仏様を信じますが。」
「あなたは今迄、一度も仏様の呼び声を聞かれなかったのでしょうか。」
「はい、聴いておりません。」
「それでは私はあなたに聞きますが、先程私が本堂でお話ししている時に、確かあなたの近くにおられたお婆さんが、しきりにお念仏を称えておられましたが、あのお念仏はあなたの耳に入りませんでしたか。」
「あのお婆さんのお念仏なら、いつでも聴いております。」
「あのお念仏こそ、阿弥陀如来が私を呼んでくださる呼び声ですよ。」
「先生、そんな無茶な!あれはお婆さんの声であって仏様の声ではありません。」
「あんたそういう聴き方をしているから、いつまでたっても仏法が解らないのですよ。子どもがおかあちゃん、おかあちゃんと呼びながら母の袖や袂(たもと)にすがりついてゆく事は、子どもかわいいという母のまことが子どもに届けばこそ、母の名を呼びつつ母にすがりついてゆくでしょう。呼ぶ声は子どもであっても呼ばしめる力は母のまことです。衆生かわいや必ず救うというみ仏の慈悲がお婆さんの胸に通えばこそ、お念仏となってそれが口に現われるのです。」
「それでは先生、あのお念仏は、仏様の呼び声ですか。」
「そうです。」
「では、どう呼んでくださるのですか。」
「それはあなたの耳に聴ゆる通り、南無阿弥陀仏と呼んでくださるのです。」と。
中国の善導大師が、
“南無というは帰命(きみよう)なり、又これ発(ほつ)願(がん)回(え)向(こう)の義なり。阿弥陀仏というは、即ちこれその行なり。”
と三つのいわれを開顕されて以来、昔から多くの学匠先哲が命がけで研究を続けてこられました。利井鮮妙(かがいせんみよう)和上は、70年間この事を研鑽しぬいて私達に、
“南無ということは安心せよという事よ。阿弥陀仏とは引き受けたという事よ。”
と仰せになっています。すれば私達が称える南無阿弥陀仏というお念仏は、大悲のみ仏が私の口を通して、
“安心せよ、引き受けた”
と呼んでいてくださるのです。この事を原口針水(はらぐちしんすい)和上は、
“我れ称え我れ聞くなれど、これはこれ、連れてゆくぞの親の喚び声”
甲斐和里子先生は,
“み仏のみ名を称える我が声は、我が声ながら貴(とおと)かりける。”
と詠まれました。また、利井興隆(かがいこうりゅう)先生は、
“今日もまた連れて行くぞの声聞けば、道知らぬ身も迷いやはする”
と喜ばれました。すれば浄土真宗の救いとは、親に呼ばれて親の世界に帰りゆく教えと言えましょうか。
私の父、野村真乗は昭和30年8月、75才の時私のお寺に、大阪から最後の布教に来ましたが帰る時に、
「自分も75才になった。今身体は元気でどこも悪い所は無いが、年をとると足が弱って遠方へ旅行する気力もなくなった。日置のこのお寺もこれが最後の見おさめになるであろう。再び生きてこのお寺を見る事はかなうまい。お前も遠く離れているから私の臨終に間に合うやら合わないやら、それも期しがたい。それでこの間からこんな歌を詠んだが、お前も時々味ってくれよ。」
と一つの歌を残して帰りました。
そなたは遠く薩南に
父は浪速(なにわ)の北の里
道は遙かに隔つれど
眺むる月は同じこと。
月に変りはない限り
同じ光の中(うち)に住む
そなたが称うる称名と
父が喜ぶ念仏と
み仏(おや) に変りはない限り
同じ摂取の中に住む
一人でさみしいと思うなよ
夜の目覚めのその時も
慈悲のみ仏(おや)と二人連れ
そなたが悲しと思う時
慈悲のみ仏(おや)に泪(なみだ)あり
そなたが嬉しと思うのは
仏(おや)のまことが通うのよ
御恩思えば嬉し泣き
仏(おや)に呼ばれて仏里(おやざと)に
帰るこの身のしあわせよ
仏(おや)に呼ばれて仏里(おやざと)に
帰るこの身のしあわせよ