第五章 心の支え

 仏教は三千年前に説かれた教えであり、真宗は七百年も前の教えでしょう。そんなに古い教えが現代人の心の支えになるのでしょうか?

一、人類は進歩するが

 色々な法座の場で、若い人からよく受ける質問であります。質問する人の気持ちは、

 「坊さんに、どんなにありがたい、尊い教えだと言われても仏教は、3,000年昔の未開野蛮な時代にインドで説かれた教えであり、又浄土真宗がどんなにすばらしいと言われても、まだ科学の発達しない中世の頃説かれた教えである。なる程3,000年昔の未開野蛮な時代には、お釈迦さんの説かれた教えはその当時の人々の心の支えとなり、七百年の昔に親鸞さんの教えが当時の人々の救いとなったであろうが、今は時代が違う。これ程科学が進み、人智も向上した今の時代にそんな古い教えが、現代人の心の支えとなる筈がない。それは子どもの頃着せた洋服を成人した青年に着せようとする様なものである。」

 そんな気持ちが、この質問の裏にある様に思います。一応考えてみれば、もっともなことの様に思われます。果たして仏教は又真宗の教えは現代の人々の心の支え、救いとなる事ができるでしょうか?私はこの事を考えた時に誰が言ったか、

 「人類は進歩するが、人間は進歩せず。」

という言葉を思い浮べます。人間が他の動物と違う所は、他の動物が本能のままに生きているのに対して、人間は本能の他に理性を持っているという事であります。理性とは、より良く生きたいという願いと言えましょう。本能のまま生きる動物には、こうした願いがありません。従って彼等の生き方には、それが如何に巧みであっても、それは同じ事の繰り返しであって、向上進歩はありません。

 例えば1,000年前の猫が、ねずみを取る姿も、今日の猫がねずみを取る姿も全く同じでしょう。自分等の子どもの頃の猫のねずみを取る様子は幼稚であったが、世の中開けてこの頃の猫は賢くなって、ねずみを取る様子も大分変ってきた。こんな事はありません。それに対して理性を恵まれ、より良く生きたい、との願いの中に生きる人類はすばらしい進歩発達を遂げてきましたし、又今後も遂げていくでしょう。

 人類学者の説によると、数千万年の太古に於ては、我々人類の祖先は他の動物と同じ様に、大地を這い回っていました。それがふとした機会から、立って歩く事を覚えました。その為に、空いた両手で大地を耕す事を考えました。これが文化の始まりであります。文化の原語のカルチャーとは耕す、という意味を持っています。

 やがて人類は、火を発見し、これを生活の上に利用する事を知りました。ここに他の動物と完全に生活の袂を分かったのであります。これが、第一の火の発見といわれています。次に、火薬の発明によってすばらしい機械文明を生み出しました。これが、第二の火の発見であります。更に人類は原子核の発見利用によって、星の世界にまで飛行する宇宙時代を生み出しました。これが、第三の火の発見であります。この様に人類は太古より今日迄、たゆみなき進歩発展を続けてきましたが、人類の悲願である真実の幸福にたどり着く事ができたでしょうか?

 この事を今一度静かに考えてみた時に、

 “豊かな生活、貧しい人生”

 という言葉によって表わされいる様に、物は豊かになり生活は便利になりましたが、それがそのまま真の幸せにはつながっていない様であります。即ち今日、老人や青少年の自殺や犯罪、離婚の著しい増加による社会の不安は、何を物語っているのでしょうか、ただ人間は物だけでは生きられない、それに心の豊かさを忘れてはならないという事であります。ここに心の問題についてもう一度考え直して見なければなりません。

二、人間は進歩せず

 この問題について考えてみた時に、人間は進歩せず、という一面のある事を忘れてはなりません。人間は進歩せず、といいますと或はそんな馬鹿な事が、と反発されるかも解りません。ではその証拠を出してみましょう。

 お釈迦様は、こう説かれています。人は、他人の失敗は大風の様にあたり、四方に吹き散らすが、自分の失敗は、博打のサイコロの様に隠そうとする。これが、約3,000年前の未開野蛮な時代といわれる人々の姿でありました。現代の私達と、どれ程の違いがあるのでしょうか。また親鸞聖人は、

 「「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらはれたり」(『一念多念文意』)

と、説かれました。この姿が1,300年前、中国の善導大師より親鸞聖人に至るまでの人々の姿でありました。この時代の人々と、科学文明を誇る現代の私達の姿とどれ程の変りがあるでしょうか?確かに人智は開け知識は向上しましたが、欲や怒り腹立ちの心は少なくなったでしょうか?親鸞聖人は命終るまで怒り、腹立ち、そねみ、ねたみの心がなくならない、と嘆かれました。

 この事について私は、恩師利井(かがい)先生からこんな興味ある話を聞いた事があります。先生が広島の或るお寺にお話しに行かれました時に、そのお寺が経営しておられる老人ホームであったお話です。この老人ホームにいるおばあさんが、マッサージ師を呼びました。このおばあさんは、かつては広島でも指折りの大きな呉服問屋を経営していましたが、原爆で家族を失ない老いの身をこのホームで養っていました。よく言われる言葉でありますが、

 “青年は未来を語り、壮年は現在を語り、老人は過去を語る”

と。このおばあさんは昔が華やかな生活だけあって、その事を誰かに語りたい思いが何時もありました。マッサージ師はお念仏を喜ぶ心の暖かい人であったので、愚痴混じりのおばあさんの話しをよく頷きながら聞かれました。マッサージが終わってお金を払おうとされたら、

 「イヤ私は老人ホームまで来てお銭を頂こうとは思いません。私はこの仕事は息子夫婦にゆずり、今は婆さんと一緒に広島の一つ向うの駅前に隠居していますが、遊んでいては勿体ないと思って加勢に来るのです。今日も店に来ていましたら老人ホームから電話があったので来ましたが、お銭は頂きません。」

 そこで、

 「それでは気が済みません。」

と押し問答の末、

 「ではお礼の代りにあなたが明日広島駅に着かれたら、私が迎えに行って手を引いて息子さんの店まで案内しましょう。白い杖をついておられても電車バス、車の往来の激しい道を通る事は大変でしょうから。」

 こうして二人の間に約束ができました。所が、ここに困った事が起りました。それはこの老人ホームに75歳のおじいさんが入っていて、このおばあさんが好きなのです。そこでおばあさんがマッサージ師と親しく話しているのを聞いて妬けるのです。マッサージ師が帰った後でこのおじいさんが、

 「お前、明日マッサージ師を迎えに行くそうだがそんな事したら俺がきかないぞ。」

おばあさんが、

 「あなたとは赤の他人です。何をしようと私の自由です。あんたの指図(さしず)は受けません。」

と言って勿論うけつけません。

 翌日そっと知れない様に駅に行って待っていましたら約束の時間にマッサージ師が降りて来たので、こちらですよ、と手を引いて駅を出ようとしたら、何時来たかあのおじいさんが後からマッサージ師を杖で叩きました。目の悪いマッサージ師は逃げる事も出来ず、
 「人殺し」
と叫びながら、その場に座り込んでしまいました。駅の人やおまわりさんが飛んで来て、中に入って話を聞いてみると、阿呆らしく聞いていられない。75のおじいさんが72のおばあさんに嫉妬して、73のマッサージ師を叩いたというのです。

 私はこの話を聞いた時に、背筋に寒く走るものを感じました。嫉妬という様なものは若い間の事だけと思っていましたが、やはり命終るまでつきまとうている事を知らされました。親鸞聖人が、そねみねたみの心は臨終の一念まで消えず絶えず、と言われた言葉が、しみじみ胸に響きます。また、マッサージ師を叩いたおじいさんの姿は、未だ外に現れない私自身の姿ではないか、と反省する事でした。人類は進歩しても人間は進歩せず、との言葉がそのまま頷(うなず)かれます。

 今も昔も変らない、そねみねたみ怒り腹立ちの心をいっぱい持っています。親鸞聖人はこれを煩悩具足の凡夫、と仰せられました。思えば欠けめだらけの私に,欠け目無く備わっているのが、そねみねたみの煩悩です。この深い内省と自覚から親鸞聖人は、

 “愚禿親鸞”

と仰せになりました。即ち、愚かな浅ましい親鸞という事です。仏様の慈悲は、この煩悩具足の私の上に注がれているのです。従って人間に煩悩がある限り仏のみ教えは永(とこしな)えに、私達の心の支えとなり灯となる事でしょう。

三、み仏に遇う

 煩悩のある限りみ仏の教えが永(とこしな)えに心の支えとなり灯となるとは、どういう事でしょうか。かって私はこんな言葉を聞いた事があります。

 “問いのある所に既に答えは用意されている”

と。それは人生の真理だと思います。従って今の問いに対して既に答えは存在しているはずであります。この事を思うとき、仏のみ教えが私の灯となるという事は、私達はみ教えを聞く聞法の座を重ねる事によって、私達が見ている世界のほかに全く別な、見られている真実の世界がある、という事に目覚める事であります。

 私達の眼には、縁したたる山や、きれいな小川の流れ、またさまざまな人の動き等が目に映ってきます。この目に映っている世界のほかに全く別な、見られている世界がある、という事です。親鸞聖人は『お正信偈』に源信和尚の言葉を引用されて、

 「極重の悪人はただ仏を称すべし。われもまたかの摂取のなかにあり、煩悩、眼(まなこ)を障(さ)へて見たてまつらずといへども、大悲、倦(ものう)きことなくして、つねにわれらを照らしたまふといへり。」

と述べておられます。この心を意訳して信心の歌には、

 「罪の人々 み名をよべ、われもひかりの うちにあり。まどいの眼には 見えねども 仏はつねに照(て)らします。」

と歌われてあります。即ち目には見えなくとも暖かい大悲の光に包まれてあり、常に大悲の眼は私達の一人一人の上に注がれている事、ここに目覚めた世界が即ち宗教、信仰であります。

 こう申しますと、見えている世界はこの目ではっきり見届けられるから確かな世界であるが、見られている世界はこの目でもこの耳でも確かめる事ができないから、そんな頼りない夢の様な話と思われるかもしれません。いや私自身も、そんな事をかって思った事があります。しかしここでよく考えてみますと、見えている世界は本当に確かな世界なのでしょうか?お釈迦様は無常の世界、と説かれました。即ち常に変化し、変わり続けているのです。西洋のある哲学者は、

 「万物は流転する。」

と説いています。無常の世界であるが故に、私達があてにしているものは、今はあてになってもそれは必ず崩れていくものであり、力にしているものも今は力になってもやがて滅んでゆくものであります。そして限りある世界であります。これは誰が何といっても否定する事のできない厳粛な事実でしょう。

 それに対して見られている仏の世界とは真理の世界でありますから常住の世界であり、永遠の世界であります。すれば確かな世界と思ったこの見ている世界は実は、あて頼りにならない世界であり、見られている常住の真理の世界即ちみ仏の世界こそ、確かな真実の世界なのであります。親鸞聖人は、

 「煩悩具足の凡夫、火宅(かたく)無常(むじょう)の世界は、よろずのことみなもってそらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」(『歎異鈔』)

と仰せになりました。

 見ている世界。見られている世界。この二つの世界の中で、見ている世界はあてにならない虚仮無常の世界であり、見られている世界は真実常住の世界、と知らされた時に私達の生き方が自ずと大きく変って参ります。

 それは人を相手にした自己中心の生き方から、教えを仰ぐみ仏中心の生活に変わって行くのです。これがお念仏の生活であります。即ちお念仏の生活とは、悩み多い苦しみ果てしない人の世に、まことの暖かいみ仏の眼を感じながら生きゆく生活です。


 ここに思いを巡らす時、私は20数年前の感激を思い起すのであります。宮崎県小林市の浄信寺(現住職・岩崎信暁師)の報恩講に参った時の事です。二日目の昼の席でありましたが市長、岡園助ヱ門氏、議長さん、そうした市の有志の方々がたくさん参詣しておられました。

 おつとめが済んで当時の御住職岩崎昭信師の挨拶がありました。かねてより病弱な御住職は齢60を過ぎて、余命いくばくも無い事を感じておられたのでしょう。これだけは話しておきたい、これだけは聞いて欲しい、と諄々と真心こめて話される一語一語は聞く人々に深い感銘を与えました。住職の挨拶が終って法話に移る前に市長さんがお礼の言葉を述べられました。

 「私達浄土真宗の門徒は、決して親鸞聖人の御恩を忘れてはなりません。聖人の御苦労あればこそ浅ましい凡夫の私が、悩み多い人生を力強くお浄土迄生き抜く事ができるのです。従って私達真宗門徒は年に一度の報恩講は心を一つにし、力を合わせて立派にお勤めしなければなりません。私達は浄土真宗の門徒として親鸞聖人の御恩を忘れてはなりません。それと共にここの御恩も、決して忘れてはなりません。私達浄信寺の門徒はこんな立派な御院家さんを戴いてなんという幸せでしょうか・・・・。」

と、演台にハラハラ涙をこぼしながら感涙(かんるい)にむせんで話されました。満堂の参詣の人々も、市長さんの真心に打たれて感涙の中にこの挨拶を聞かれました。

 私はこの光景を見た時に全国の数多くの市長さんがおられても、こんな立派な挨拶の出来る方はそう多くないと思いました。夕ごはんの時にご住職に、

 「おじさん、ここの市長さんは本当に偉いかたですね。」

と言ったら、

 「うん偉いよ。」

と言いながらこんな話をされました。その時は市長二期目でありましたが、どんな立派な人格者でも一たび政治の場に立つと必ず反対派が現れます。これは政治家の宿命とでも言うべきものでしょう。反対派の人がある事無い事色んな悪口デマを飛ばします。それが回り回って市長さんや奥さんの耳に入ります。奥さんは女ですからつい三度に一度は愚痴が出て、

 「アンタこんなうるさい職をお辞めになったら。こんな職に就いておればこそ根も葉もない残念な悪口を言われるんですよ。せめて老後は静かな人生を送ろうじゃありませんか。」

と言われた時に、市長さんがポツリと、

 「人の口に戸はたてられないものよ。人がどう言おうとそう気にする事はない。私の真実は大悲の親様がよく御存じではないか。さあ今晩も家族が揃ったから皆でお勤めしょう。」

と,自分が先に立ってお正信偈でお勤めされました。

 私はこの話を聞いて、この市長さんにして初めてあの様な立派な挨拶ができたものと深い感銘を覚えたことであります。お念仏に生きられた市長さんの心には、

 (99人の目の見えない人々にほめられて何が嬉しかろう。99人の目の見えない人々にそしられて何がさみしかろう。たった一人の目の開いた仏様にほめられてこそ、人間としての生き甲斐いがあるのではないか。)

という気持ちが流れていた事でしょう。ここに私達がみ仏に遇う事のできた喜びがあります。まことに浅ましい煩悩をいっぱい持った私、それゆえに苦しみ悩まなければならない私であります。そこにこそ大悲のみ仏の慈悲は注がれています。

 ですからいかに世の中が進歩しても煩悩と悩みは私につきまとい、私に煩悩と悩みがある限り、み仏の教えはとこしえに私達の心の支えとなり灯となって輝く事でしょう。