第十一章 真宗の現世利益(その二)

 先生、私は真宗の家に生まれ、今迄もよくお寺に参っております。それで死んだら阿弥陀様に助けられて御浄土に参らせて頂き、生きている間は神様からこの世の利益(りやく)を頂こうと、この様に思っておりますが、これでいいでしょうか?

一、動乱の中に

 今を去る800年前、それは日本の歴史の転換期であり、又それに伴う激しい動乱の時代でもありました。初めは貴族(公卿)の所有する地方の荘園を警備する役目であった武士が、次第に力を持つようになりました。その武士を代表する源氏、平氏が中央に勢力をのばして互いに力を競いました。

 政権を争って肉親が敵味方に別れて戦った保元、平治の乱の末に、平清盛が源氏を都から追放して藤原氏一門に代って政治を執り,平家に非ずば人に非ずと豪語して栄華をきわめました。しかしこれも束の間、清盛が亡くなった後に源氏が再び東国に勢いを盛り返して、ついに壇の浦に平家一門を滅ぼして源頼朝が鎌倉に幕府を開いて、武家の手に政権を収めました。これは古代より中世へ貴族社会より封建社会への、大きな時代の転換であります。

 しかも国内は、戦乱に続いて養和の大飢饉、それに加うるに風水害、続いて都の大火等、天災地変によって人々は住むに家無く、食べるに食無く、その上に疫病が流行して死骸は累累と都大路に横たわっていました。けれどもそれを処理するいとまも無くて加茂川に流した所が川がせき止められて、水が都大路に逆流したとも伝えられております。こうした悲惨な現実には政治の力も及ばなくて、人々は神や仏にすがって祈祷や呪術に走り、又色んな迷信に頼ってその苦しみから逃れようとしました。

 親鸞聖人は、そうした民衆の苦しみ悲しみを痛い程身に感じながら、そこにただひたすら真実の救いを求めて修行研鑽(けんさん)に勤められ、遂に辿り着かれた道が他力のお念仏による救いでありました。それは救おうとして救う事の出来ない深い悲しみの凡夫の上に、久遠の古へよりみ仏の光が注がれていたという事であります。苦しみ悩める人々がこの光を仰いだ時に、苦悩の中に生きる道が恵まれました。

 その事を明らかにされたのが、現生の十種の利益(りやく)であります。私達は親鸞聖人の現世利益を思う時に、この利益はただお経によって説かれた道理だけから導き出されたものでなくて、人々の苦しみを救うまことの道を、み仏の教えに尋ねてゆかれたものであるという事を忘れてはなりません。それが現生十種の利益であります。そうした事をふまえて、この現生十種の利益(りやく)のお心を窺(うかが)いたいと思います。『教行信証』、信の巻に次の通り述べておられます。

 一、冥衆護持(みょうしゅごじ)の益=目に見えぬ方々から護られる。
 二、至徳具足(しとくぐそく)の益=この上もなく尊い功徳が身に備わる。
 三、転悪成善(てんまくじょうぜん)の益=罪悪を転じて念仏の善と一味になる。
 四、諸仏護念(しょぶつごねん)の益=諸仏に護られる。
 五、諸仏称讃(しょうさん)の益=諸仏にほめ称えられる。
 六、心光常護(しんこうじょうご)の益=阿弥陀如来の光明に包まれて常に護られる。
 七、心多歓喜(しんたかんぎ)の益=心が真の喜びに満たされる。
 八、知恩報徳(ちおんほうとく)の益=如来の御恩を知らされ,報謝の生活をする。
 九、常行大悲(じょうぎょうだいひ)の益=如来の大悲を人に伝える事が出来る。
 十、入正定聚(にゅうしょうじょうじゅ)の益=やがて仏になると定まった正定聚(しょうじょうじゅ)の位に入る。(浄土真宗必携より)

この十の数字は満数であります。従って現生の利益はこの十種に限るものではありません。聖人は私達にわかり易く、たくさんの無量の利益の中から十種に要約してお示しになったものであります。

 この十種の利益の心を故普賢大円(ふげんだいえん)和上は、更に充実・感謝・歓喜・希望の四つに要約して説かれました。今この順序に従って、現生十益の内容を窺ってみたいと思います。

二、充実、感謝

 充実とは満ち足りた生活です。この世で一番満ち足りた姿は、どんな姿でしょうか?幼い乳呑児が母の胸に抱かれてお乳を飲んでいます。ごくりごくりと息もつかずに飲んでいるうちにお腹が一杯になって、可愛い紅葉の様な手でニコニコしながら母の口や鼻のあたりを撫で回しているうちに、何時しか安らかな眠りに入って行きます。この姿こそ一番満ち足りた姿ではないでしょうか。

 お腹の中には、母の血であり命である全ての栄養が円(まど)かに備わったお乳を腹一杯いただき、しかも外からは温かい母の慈愛の腕にしっかり抱かれています。そこに何にも解らない乳呑児の上に、自ずと満ち足りた姿が現れるのでしょう。

 親鸞聖人は、み仏の慈悲に目覚めた人々の姿はこれと同じと仰せられるのです。思えば悩み多い私達の胸に、温かいみ仏の慈悲は本願名号のお乳となって、私に注がれしかも外からは、目に見えない仏菩薩に温かく護られています。

 南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)をとなふれば
 十方無量(じっぽうむりょう)の諸仏は
 百重千重(ひゃくじゅうせんじゅう)囲繞(いにょう)して
 喜びまもりたまふなり

 天神(てんじん)・地祇(じぎ)はことごとく
 善鬼神(ぜんきじん)と名づけたり
 これらの善神(ぜんじん)みなともに
 念仏のひとをまもるなり

と讃嘆されました。ここに苦しみ悩み果しない人の世にあって、なおおかげさまと、明るく生きる道が恵まれるのです。

 ちなみに南無阿弥陀仏を称うるとはみ仏の大悲に感応した姿であって、それは利益を求める呪文ではありません。

 次に感謝とは、私は今迄何回となく述べて参りましたが人々の等しく願っているものは幸福でしょう。私達は幸せを求めて忙しい忙しいと明け暮れしています。思えば世の中は開けて日々の生活が殆んど機械化され便利にはなりましたが、社会は複雑となって、いよいよ時間的にも心にも、ゆとりが失われて行くようです。

 今から四、五十年前,私の故郷の田舎では、交通機関といえば自転車か、また朝夕二回のバスに頼るしかなかった頃、往復七里程の道のりを村人達は、片曳きの車に薪や炭を積んで、それを牛に引かせて町に行き、夕方いろんな物を買って帰って来ました。そんな時代の方が却ってのんびりしていた様に思われます。ともかく現在、私達は激しい交通地獄の中に神経をすり減らし走り回っていますが、果して幸せを感じているでしょうか?

 “豊かな生活、貧しい人生”

と現代を諷刺した言葉は、何を物語っているのでしょう。まことの幸せとは、外に良き環境を整えると共に内に豊かな感謝の心の眼が開かれた所にあります。

 “よく見ればなずな花咲く垣根かな”

ちょっと見れば何の変哲も無い平凡な景色ではありますが、心して見れば垣根のそばに、暖かい春の光を受けて命一杯咲いている名も知られない草花。親鸞聖人は私達の姿を群萠(ぐんもう)と仰せになりました。名も知られない雑草の中の一つに過ぎない私でありますが、この私達一人一人の上に、み仏の慈悲の光は限り無く注がれています。この大悲に目覚める時、自ずと感謝の心の眼が開かれるのです。色んな煩わしい中にも、それを良き様に受け止めてゆく心のゆとり、それが大悲を仰ぐお念仏の生活であります。

 私はこの事を思う時、亡き父の言葉が思い出されるのです。私の父が大切にしていた丹前(たんぜん)を、姉がしまっており、寒くなったのでそれを取り出しました。所がそこにねずみが入っていてその丹前をかじっていたのです。姉が叱られるかと心配しながらそれを話し、

「裏をかじっていれば何とか目立たぬ様に繕(つくろ)う事が出来ますのに。」

と言った時に、父が、

「仕方がないわい、ねずみには裏も表も解らんからのう。」

と言ってユーモアの中に済ましてしまいました。どんなに叱られるだろうかと心配していた姉も、思わず吹き出して事もなく済んだのです。私は今この事を思い浮かべて、父にはお念仏が本当に身に付いていたのだなあと懐しく感じる事です。

三、歓喜、希望

 世の中が開け物は豊かになりましても私達には苦しみ悩みがつきまとっています。誠にこの世は耐え忍ばなければ生きる事のできない世界(娑婆)と説かれたお釈迦様の言葉がしみじみ味わわれます。そうした世界であればこそ私達は、生涯をかけてみ教えを求めて行かなければなりません。聞法を通してみ仏の慈悲に目覚める時に、一つ一つの悲しみや苦しみが不思議にも喜びと転じられていくのです。

 私はよくこんな質問を受ける事があります。

「どうしてお寺参りが必要なんでしょうか?」

そんな時私はこう答えるのです。

 それを問う前に、あなたがお寺に参ってお話を聞いてごらん。なる程ねと、お解りになるでしょう。宗教は救いの理論を何ぼ知っていても、それは何にもなりません。他人の蔵の中の宝を数えている様なものです。聞法を通して救いが実感として今日の私の生活の上に、にじみ出て来るのです。そこにみ仏の教えに遇った喜びが知らされる事でしょう。

 私がまだ両眼手術しない頃の事です。その当時一人で鹿児島市の眼科医に治療に通っていました。相当視力が落ちていて電車や車の往来の激しい横断歩道を渡る時には神経を使います。その時私の胸にふとこんな気持ちが湧いて来ました。(自分は兄弟五人、外の兄弟は普通の眼をしているが自分だけなぜこんなに不自由で苦労しなければならないのか。特別悪い事をした覚えは無いのに。)

その時また別の声が、胸の片隅から聞こえてきました。

「お前、ぜいたく言うな。その眼の悪いお陰で今日まで命があるのではないか。」と。

 私は昭和19年3月、召集を受けて大阪の中部22部隊に入隊しました。一期の検査前に体を壊し、陸軍病院に入院しました。数ヵ月後、内科の方は良くなりましたが、夜盲症であった為にそのまま眼科病棟に移されて、同年11月15日、原隊に復帰しました。

 ところが帰隊してみると、中隊の戦友が居りません。噂に聞くと、私が原隊復帰する少し前に全員南方に送られ、しかもその輸送船が、敵の魚雷を受けて海の藻屑(もくず)と消え去ったのだそうです。もし私が眼科病棟に回されていなかったら恐らく、その中に入っていた事でしょう。11月30日、召集解除で帰りました。明けて20年2月1日、再び召集。身体検査の時に軍医が、

「そこの兵隊、どこか悪い所はないか?」
と問われて、
「自分は眼が悪くて夜見えません。」
と答えたら、
「貴様、そんな綺麗な眼をして眼が悪い事があるものか!兵隊に行くのが嫌だからそんな事言うんだろう。」
と怒鳴りました。その時隣に居た若い軍医さんが偶然、陸軍病院で私の目の治療をしてくれた人でした。私をちらっと見るなり、
「その兵隊は眼が悪いですよ。取っても役に立ちませんよ。」
と言われたので、即日帰郷になりました。この事が頭に浮かんだのです。

 目の悪いお陰で今日まで命があり不自由ながらも仏書に親しみ、又縁のある人々と共に御法義を味わう事が出来るかと思うと、眼の不自由さが余り苦にならず却ってしみじみとした喜びさえ感じられます。親鸞聖人が現生十益の中に歓喜をお説きになったのは、こうしたお心でしょうか。

 次に希望とは、浄土に向っての明るい生活です。現生十益の最後は、正定聚(しょうじょうじゅ)の利益であります。これはみ仏の教えにより、必ず浄土に生まれゆく身に定まる事です。この位に入った喜びの内容を示されたのが、前に述べた九つの利益であります。

 従って、先に充実、感謝、歓喜、希望と申しましたが、これは正定聚(しょうじょうじゅ)の救いの内容であります。即ち限りある世界にありながら永遠の世界を感じつつ明るい希望を持って、心豊かに生き抜く事です。

 人間死んだらお終いだ、という言葉を知識階級の人々からよく聞きます。死後の世界の事を信ずるのは、学問の無い愚かな人間で、高い教養を身に付けた者にはそんな非科学的な事は信じない、という気持ちが働いているようです。それは宗教は、科学を超えたものであるという事への認識不足によるものといわなければなりません。これが明治大正昭和と無宗教の方向に導かれた、現代日本人の空しい姿であります。

 欧米では、宗教を持たない事が一番恥ずかしい事とされているのに、日本ではいまだに宗教を持たない事を、誇りとさえしている様な状態であります。マッカーサーから、日本人の精神年齢は12歳、と指摘されたのも何かうなづけます。人が死ねばそれでお終いだ、と言っている人々は少なくとも子どもを亡くした悲しみ知らない人の事であり、また自分自身の命の行くえをまじめに考えない人の言葉でしょう。

 そうした人に対して、死んで終いになってしまう様な、そんなちっぽけな人生にあなたはよく満足できますね。私はそんな人生には到底満足できません、と言いたいのです。

 私達はこれから20年30年の先を考えるとまだ相当長い様に思いますが、過ぎ去った後を振り返ってみるとどうでしょうか?私は子どもの頃、40、50の人を見れば相当ふけて見えておりました。60、70と聞けば、程遠い向うの様に考えていました。何時の間にか30、40もアッという間に過ぎ、61の還暦の年になって過ぎ去った後を振り返ってみると、誠に一瞬の様な感じがして、蓮如上人が、

 “電光朝露(でんこうちょうろ)、夢まぼろしの如し”

と仰せになった言葉がしみじみ味わわれます。

 私達の命がこれだけで終ってしまうならば、誠に空しい人生と言わなければなりません。浄土真宗のみ教えに遇うた喜びは、無常と有限の世界にありながら、なお永遠の世界を知らされて、果しない希望の中に生き抜く事であります。それは言い換えれば、還(かえ)るべき命の故郷を知らされた喜びです。親鸞聖人は、

 “真如法性(しんにょほっしょう)のみやこに還(かえ)る”また、
 “寂静無為(じゃくじょうむい)のみやこに入る”

と仰せになりました。晩年、関東の門弟にお出しになりました手紙の一節に、

 “浄土にてかならずかならず、まちまゐらせ候(さふら)ふべし”(『親鸞聖人御消息』)

と力強く仰せになっています。私はこの言葉を聞く時、遠く700年の隔たりはあってもなお身近に聖人のほのぼのとした体温を感ずる思いが致します。正定聚(しょうじょうじゅ)の利益とは、永遠の命の故郷へ向っての、限りなく明るい希望の生活であります。

四、まことの教えに支えられて

 以上私は二章にわたって、浄土真宗の現生利益について、色々と考察を加えて参りました。真実の宗教の利益とは、人間の欲望を神仏の力を借りて満足させようとするものではなくて、むしろその欲望を、正しく超えていく所にあるのです。即ち厳しい人生を、充実・感謝・歓喜・希望の喜びの中に力強く生き抜く事であります。

 こう申しますと中には、満足・感謝・歓喜という様なものが宗教の利益であるならば私は、今日を満足し、今日を感謝して生活しているから、別に宗教は要らないでしょう、と反発する人があるかもわかりません。

 私はこの事について、かって先輩から聞いたこんな話を思い浮べます。

 前門主様の教育係をしておられた島地大等(しまじだいとう)和上は、東京大学の教授でありましたが、同じ大学の先生に、無神論に立って宗教を頭から否定する先生がおられました。島地先生は本願寺の坊さんでありますから事、宗教に関しては意見は合いませんが、人間的にはよく気が合い親しい交わりをしておられました。この先生が島地和上に、

「先生、あなたがたは坊さんだから宗教が要(い)ると言われますが、よく考えてみれば要らないでしょう。どうして要りますか?人間は死ねばそれでしまいですよ。肉体は滅び、精神活動は停止してしまいます。それで何が残りますか?

死んでから地獄極楽があと説かれますがあれは封建時代に働いても働いても貴族階級から搾取されて、この世では到底幸せをつかむ事は出来ないと諦めたあわれな庶民階級の人々が、せめて死んでから先に幸福をつかもうと描いた空しい空想ですよ。

もし地獄極楽があるというならば、それはこの世の事でしょう。働けど働けど我が暮らし楽にならざりけり、じっと手を見る(啄木)。この様な貧しい生活がこの世の地獄でしょう。

私は子ども三人ありますが、長男は第一高等学校、次男は府立一中、三番目は女で小学校です。経済的にそう心配もありません。家庭も明るくて円満です。だから私の境遇こそ極楽でしょう。何故宗教が要るのでしょうか?みんながこうした生活出来る社会を作る事が大切でしょう。」

こんな調子ですから宗教については全々意見が合いませんでした。

 ところが大正7年から8年にかけて、恐ろしいスペイン風邪が流行して、この先生の3人の子どもさんがわずか数ヵ月の間に、次々と亡くなられました。さすがの先生夫妻もがっくりされて、或る日奥さんが3人の子どもさんの白木の位牌を前にして、

「あなたにこんな事言っては叱られ、或いは笑われるかも知れませんが、私には三人の子どもが死んであのまま消えて行ったとはどうしても思われません。形を変えてどこかに生きているとしか思われませんが、本願寺の島地先生に来て頂いてお経を読んで頂きたいと思います。」

と、涙ながらに言われた時に、

「お前もそう思うか。子どもを亡くした親の気持ちは同じだ。」

と、早速お願いされました。島地先生はすぐ見えて、白木の位牌の後に南無阿弥陀仏の六字の名号を掛けて、『阿弥陀経』一巻をおあげなりました。後ろで先生夫妻はじっと首をうなだれて聴いておられました。お経が終わると振り向かれて、

「先生、あなたの言っておられた極楽とはまことはかないものでしたね。」

この一言が、先生夫妻の胸をえぐる様に響きました。

「人間に宗教なんか要るもんか、死んだら終いだ、地獄極楽はこの世の話で私の境遇こそ極楽だと誇っていたが、その極楽は一瞬の間に空しく崩れてしまったではないか?」
「先生、私は今迄あなたに対して御無礼な事を数々申しましたが、あれは私の机上の空論でした。子どもを亡くしてみて初めて人生のはかなさ人間の悲しさ弱さを知らされました。どうか私に、真実のみ教えをお聞かせ下さい。」
と言われて、それから夫婦揃って島地和上から、熱心に御法話を聞いて行かれたとの事です。

 私は,20数年前聞いたこのお話が、今も静かに浮かんで参ります。今健康で経済的な心配も無く満足し感謝しているから私には宗教はいらないと言われるけれども、宗教の支えの無い満足感謝は、一つの躓(つまず)きに遭うとたちまち危くも崩れてしまいます。

 親鸞聖人が、み仏の真実のお慈悲に目覚め、そこに生まれる充実・感謝・歓喜・希望は、たとえどんなつまづきにあっても崩れる事なくいやそれを契機として、いよいよ深くみ教えをかみしめ、お陰さまと力強く生きゆくのであります。これこそ正に、他力信心の真実の利益(りやく)であります。