第一章 三つの問い

私達は何故お寺に参り御話を聞かねばならないのでしょうか?
お寺に参詣して何を聞くのでしょうか?
聞けば私達の生き方はどうなるのでしょうか?

一、何故聞くか

 昭和53年12月、薩摩郡宮之城町信教寺(住職野崎流行師)の正信偈の講座の時に出された問題であります。考えてみれば信仰についての基本的な問題を問われている様に思います。とかく真宗のお話は、解った様で解らないという言葉を良く聞きますが、その理由の一つはこうした基本的な三つの事柄が理解されないままに説かれていくからだと思います。

 まずこの問題についての答えは、人生は苦の世界であるから、と言う一言で充分でしょう。パスカルは、

 「人間はか弱い葦の様な存在である。しかし、この葦は考える葦である。」

と、いみじくも申していますが、人間は考える能力を持つが故に今日の素晴らしい文明社会を築きあげて来ました。その反面、考える能力を持つが故に永遠に苦悩しなければならない存在とも言えます。

 思うに人間以外の他の動物は本能のままに生きているので、苦痛はあっても苦悩はありません。従って彼等には自殺はありません。うちの猫は発情期に入ったが失恋して首を吊った、また隣の豚は主人に叱られて世をはかなんで投身自殺した、と言う話は聞いた事がありません。人間は時として苦悩の故に自らの命を自らの手で断つ事さえあります。

 まことに人間の世界は親鸞聖人のお言葉の様に、生死の苦海であり、人間は苦悩の有情であります。私達は他人の姿を外から見れば特別に事情のない限り、皆幸福そうに見えますが、一人一人の胸を尋ね、それぞれの家庭の裏を覗いてみればやはり、自分自身の身体一杯の心配や悩みを持ち、どこの家庭もそれぞれ問題をかかえています。これが人生のまことの姿ではないでしょうか。

 お釈迦様は『大無量寿経』に、

 「田あれば田あるで憂い、宅あれば宅あるで憂い、無ければ無いで憂う」

などと説かれています。即ちあり余る巨万の富を持っている人にも、人生の悲しみはつきまとうているという事であります。林芙美子女史が、

 「花の命は短くて、苦しき事のみ多かりき」

とうたい、この歌が今尚現代人の心をひきつけているのは、如何に物質文化が華かであってもやはり人生の苦悩は、形を変えてつきまとうているという事でしょう。『観無量寿経』に我が子阿闍世(あじゃせ)太子(たいし)に背かれて夫を殺され、自分も七重の牢獄に閉じ込められる、という逆境の苦悩の中に泣き濡れる韋提希(いだいけ)夫人(ぶにん)に対して、お釈迦様がおごそかに、苦悩を除く法を説く、と仰せられた言葉が今、ひたひたと私の胸に迫って参ります。

二、何を聞くか

 次に、お寺に参詣し聞法すると言われますが、その聞法とは何を聞く事でしょうか?これについては親鸞聖人は、はっきりと諭しておられます。『教行信証』の信の巻に、

 「「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末(しょうきほんまつ)を聞きて疑心あることなし」

と。即ち私達はみ仏の本願のいわれを聞き聞いて安心し満足させて頂くのです。その本願のおいわれを聞くとは、私が救いを求める前に救われてくれよ、と立ち上り呼びかけられているみ仏のお心を聞かせて頂くことに他なりません。親鸞聖人は、如来召喚(にょらいしょうかん)の勅命(ちょくめい)を聞く、とも言われております。

 ここで思われます事は浄土真宗以外の宗教では、私の方から救いを求め利益(りやく)を祈って行くのです。教えの深い浅い、説明の上手下手はあってもこの枠から出るものではありません。

 この事については別の章で詳しく述べますが、ともかく私達はみ仏に救いを求める前に、救われてくれよ、と温かく呼び給う如来の呼び声を聞き、この呼び声に目覚めさせて頂くのです。これが聞法、という事であります。おかる同行が、

 “おかるおかると呼びさまされて、
  ハイの返事も向うから”

 “聞いてみなんせまことの道を、
  無理な教えじゃないわいな”

 “まこと聞くのはお前はいやか、
  ほかに望みがあるぞいな”

と読まれたのは、この心でしょう。

 私はこの事を思う時、53年11月、本願寺総会所布教にのぼった時の事を思うのです。鹿児島の空港まで嫁や娘、孫達が送ってくれました。空港で搭乗手続を済ませたので、
 「あんた達は遅くなるからもう帰りなさい。」

と言って帰しました。その時嫁が、

「おとうさんの目の悪い事を窓口に伝えて良く頼んでおきましたから。」

 「ええありがとう。気をつけて帰るのよ。」 

と、別れました。ところが、その飛行機の整備に手間取り、出発が予定の時刻よりどんどん遅れていきます。その為待合室は混雑を増して来ました。その時私の胸に一つの不安が湧きました。こんなに混雑しているからいざ出発という時にさっさと乗客を乗せてしまって、私一人が取り残されたらどうしようか、という不安です。嫁が頼んでおいたというけれども、混雑の為うまく連絡が取れてなかったら、と思うとじっとしておれない気持ちがしました。待合室は私には真暗闇で何所をどう歩いていいか見当がつきません。

人間はこいう時に悪い方面ばかりを想像していくものです。もし乗れなかったら、大阪空港に連絡して迎えに来てもらっている筈の甥にも迷惑かけるし、それよりも、明日からの総会所での布教に間に合わない。こんな事を思うと、いら立つ気持ちはいよいよ高まり、いても立ってもいられない様な気持ちになりました。私はとうとうたまりかねて、そばにいる男の人と思われる方に、頼みました。

 「すみませんが、私は目が見えませんので搭乗が始まったら肩を持たしてください。」
「ああ、いいですよ」

と言われてややホッとした気持ち。やがて搭乗開始の放送があり、乗客は動き始めました。私もその人の肩に手をかけ歩き始めると、係員が来て、

 「この方は眼が悪いから私達が案内しますから。」

と、一番先に連れられ、席に着かせて貰いました。大阪空港では又、係員の方が出迎えてくださって、

 「ほかの方は歩かれますが、貴方はこの車に乗ってください。」

と行き届いた案内を受けました。帰途も大阪空港より飛行機にしましたが、搭乗手続きを済まして待っているとスチュワーデスの方が来て、

 「搭乗が始まったら私が案内しますからここで動かずに待っていてください。人が動き出しても心配せずにここにいてください。」

と、親切に言われました。だから何の不安もなく安心して時間を待つ事ができました。私はこの時しみじみと、親鸞聖人のみ教えと他の宗教の違い目をかみしめ味わった事でした。

 他の宗教は信心祈りによって利益や救いを求めていくのに対して浄土真宗では、生涯かけて念仏の中に如来の呼び声を聞いてゆくのであります。

“今日もまた連れてゆくぞの声聞けば、
 道知らぬ身も迷いやはする”

三、聞いたら

 第三の問題として、聞けば私達の生き方がどう変るのか、これについては変る面と変わらない面とがあります。変わらない面とは煩悩のうちにあけ暮れしている私の自性(じしょう)です。親鸞聖人は、

 「「凡夫」といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらはれたり。」(『一念多念文意』)

と述べておられます。まことに私達の姿は、気にくわないと怒り腹立ちの心が燃え上り、人の成功を見ればそねみ、ねたみの心が起ります。この煩悩は命終るまでつきまとっています。故に縁に触れれば、どんな浅ましい心が噴き出すか解りません。この自性は命終るまで変る事はありませんが、そうした煩悩の中に明け暮れしながら今までと変わった生き方が現れてくるのです。

 それは、一つには、“我が身は悪(あ)しきいたずら者”と頭がさがる事です。私達人間は、人に頭を下げさす事は好きですが自分が頭を下げようとはなかなかしません。人に頭を下げる場合は、多くはお金の為か名誉の為であります。そうした私が素直に頭が下げられるのは、み仏の教えに遇い、光に照らされて自分の欠点多いあさましい自性(じしょう)が見えるからであります。人は自分の顔や目は自分で見えない様に、本当の自性は、やはりみ仏の光に遇わなければ見る事はできません。

私は時々色んな方と逢い、話す事もありますが、その時、この方は学問もあり教養もあって誠に立派ないい人だなぁ、と感じながらも、惜しい事に今一つ自分が見えていないなあ、と思う事があります。こうした人達は、浄土真宗に縁の薄い人々です。

 またこの人は、そう高い学歴もないけれども本当に良く自分が見えているな、と感じ、頭の下がる思いがする事があります。こうした人はやはりお寺に縁が深く、み教えを聴聞している人々です。我が身は悪しきいたずら者、と自分の姿が見える時そこに、生かされている恵みを感じ、お陰様と感謝の思いが湧いて参ります。それによって温かい眼で人生を眺め、温かい心で人と交わって行くのです。

 蓮如上人は、

 「私の好きな人はお念仏を喜ぶ人である。たとえ腰が曲りみすぼらしく見える人 でもお念仏を喜ぶ人は心が温かい。」

と言っておられます。又,本願寺第二十一世の善知識、明如上人が全国を巡教して本山にお帰りになった時に、その感想を、

 “み仏の道の栄ゆる国々は
  人の心も素直なりけり”

と、詠まれています。

 二つには、“よろず悲しきにつけても、喜び多きは御恩なり”とのお諭しにある様に、人生には悲しみ悩みはつきまとうていますが、その中にお陰様と明るく生きる道が開けて開けて参ります。これについて今年のお正月の事でしたが嫁が、

 「おとうさんAコープから干柿を買ってきましたが食べてみませんか?」
 「ええ、ありがとう。」

と受け取り、口にした時、少年の頃よく食べた故郷の味が舌に甦ってきました。私はそれをかみしめながら、人工ではどうしても出す事のできないこの素晴らしい自然の甘味は、どこから出るのであろうかと思った時、それはかめば顔をしかめて吐き出したくなる様な、あのきつい渋味から来る事に気付きました。あの渋味がなければ到底この甘味は出て来ないでしょう。

そんな事を考えた時に、人生の幸せ喜びも、それは苦悩が素材になっているのだ。もし苦しみ悩みが無ければ、また喜びも幸せもない筈です。昔の人が、“楽(らく)人(じん)楽を知らず”と言われていますが、この事を指しているのでしょう。

 しかしここで見落してならない事は、柿の渋味が甘味に変わる、と言ってもそのままでは決して甘味にはなりません。渋柿のまま熟柿となって落ちていくでしょう。渋柿をもぎ取り、皮をむいて太陽の光と熱に当てる事で、えも言われぬ甘味と変わって行くのです。

人生の苦しみ悩みも全くその通りで、そのままですと人生は、苦しみ悩みに終ってしまいます。そこに私達が聞法を通して温かき仏の慈悲に触れ、いや慈悲の光のお育てによってこそ、人生の悲しみ悩みを抱えながら、お陰様と明るく生きる道が開けてくるのです。親鸞聖人が、

 “慈光はるかにかぶらしめ
 ひかりのいたるところには
 法喜(ほうき)をうとぞのべたまふ
 大安慰(だいあんに)を帰命(きみょう)せよ”

と仰せになったのは、この理でしょう。

 この事について、私が最近しみじみと体験した事があります。私は毎年、自分がお育てを受けた行信教校の専精舎の安居(あんご)(研修会)に参加しますが、40年前の、学生時代の後輩であった学友の平城さんも参加されます。この友人が、目の不自由な私を本当に痒い所に手が届く様に世話してくれます。今年も世話しながら、

 「賞雅さん、あんた年々視力が落ちているよ、気をつけないと。」

そう言われてみれば家にいる時は感じませんが、一年振りにのぼって来ると、去年はあそこがはっきり見えたが今年は見えないなあ、去年はここが一人で歩けたが今年は歩けないなあと、視力がぐんぐん落ちて行く事がよく解ります。私はそうだねえと言いながら、ふと私の胸にありがたい、お陰様だなあと言う思いが湧いて来ました。

それは今迄はっきり見えていた目が突然失明すれば、これは不自由で困りますが私の場合は、不自由に慣れながら自然に視力が落ちていきますので、突然失明するより遙かに幸せです。私はその晩、寝ながらこの事をもう一度思い返してみました。

 もし私が、仏とも法とも知らずこのみ教えを聞いていなかったら、おそらく今の場合やがて失明するであろう不安と恐怖の中に、心はいよいよいら立ち、苦しみながら周囲に暗い影を与える事でしょう。そうした境遇にありながらなお、お陰様と受け取られるのは、御念仏のお陰としみじみ感じました。

しかし問題を抱えて生きているのは私一人だけではありますまい。色こそ違え、形こそ違え、皆それぞれに我が身一杯の苦しみ悩み、問題を抱えて生きているのでしょう。

 私はそれを思う時、腹一杯の声を出して叫びたいのです。あなたがたも、今日の生活が大事な事はいうまでもありませんが、ただ生活に追われ欲にのみ追い回されて、一生終るならば、人生はまことに空しいものです。どうか機会を求めて、御法義をしっかり聞いてください。いや共に手を取って聞いていきましょう・・・と。

 三つには、“ちからなくしてをわるときに、かの土へはまゐるべきなり”との、安心と喜びが恵まれるのです。私達には、生まれた始めがあるならば、必ず死の最後が来るし、逢うた始めがあるならば、別れ行く最後が来ます。この事を他人事として聞いている間は、又話として聞き流している間は、何ともありませんが、静かに胸に手を当てて考えてみた時に、話として聞き流し、他人事として済まされる問題でしょうか?

 昔、京都御所の警備の役職についていた佐藤義清(のりきよ)は、自宅から御所に通う途中に鳥辺山の麓を通ります。ここは都の火葬場になっていました。義清が帰宅を急ぐ途中、ふと目を向けると、人が死んだか火葬の煙が、一筋二筋昇っています。

 もののあわれを感じ易い義清(のりきよ)は、その煙を眺めながら、可哀想にあの煙の後には、親を亡くして泣く子どもの涙、幼い児を抱えながら主人に死別して途方に暮れる未亡人の悲しみの涙が思われた時に、胸しめつけられる様な思いがしました。

 今日も帰る道すがら、火葬の煙をふと立止まって、ジッと眺めていた義清は、我が家に帰ると何を思ったか、一首の歌を残して家族を後に、漂然と出家されました。それより仏の道を求めながら全国を行脚(あんぎゃ)して、歌を読み続けました。この人が有名な歌人、西行法師であります。

  “鳥辺山(とりべやま)、昨日も今日も 立つ煙り
  眺めて通る 人は何時まで”

という歌であります。

 死を他人の上に見ている間はよかったが、自分の上に感じた時に、今迄の生活にとどまる事が出来ませんでした。私はこの事を静かに思う時に、しみじみと親鸞聖人のみ教えに遇った幸せを感じます。死が如何に自分の事と感じられても、私達凡人には家を捨て家族を捨てて道を求める事は、大変困難な、否、不可能な事でしょう。

そうした私が、家庭生活を守りながらみ教えを聞き、聞法の座を重ねる事によって、やがて力無くして終る時、彼の土へは参るべきなり、と帰るべき生命の故郷を知らされるのであります。そこに何の不安なく安心して、心豊かに生き抜く道が恵まれます。思えばまことに不思議という外はありません。親鸞聖人はこの事を、

  「遠く宿縁(しゅくえん)を慶(よろこ)べ」

と仰せになりました。