第十七章 他力の風光

 先生、私はお寺詣りは大事と思います。お寺に詣っている時は世間のいろんな事に煩わされて腹を立てたり、愚痴を言ったりそんなあさましい心を忘れてきれいな心でいる事が出来ますから、けれども私はお浄土に参ってみ仏になれそうには思えません。それは私の心があまりにあさましいからです。

一、自己の姿に気付く 

 去る昭和31年11月8日前御門主様が鹿児島教区巡回の砌(みぎり)に,私のお寺にお迎えしたのを記念して中年婦人の聞法の会を結成しました。そして御門主様より照明会という名を戴きました。それから毎月8日に例会を開いています。法話の後で車座に坐り話し合いをしますが、その時の前町長夫人、星原節子さんの発言です。私はこの言葉を聞いて何か心を打たれました。

 私達は悪人目当ての救いという事を常に聞かされておりますが、本当に悪人であるとの実感の上にみ仏の救いを聞いているでしょうか。悪人といわれても、あさましい凡夫と言われてもそれはただ話として、又人ごとの様に聞き流してはおらないでしょうか。

 話は少し横にそれるようですが、私はこんな事を願っているのです。門徒の中で、自分は仏教とか真宗の教えは解らないけれども、あの住職の説かれる事だから聞いてみようかと…そんな住職になりたいものである。この願いの達成は程遠い彼方にありますが、少なくともそうした方向に努力したいと願っています。又、聞法する人々にも、あのかたが詣るお寺だから自分も詣ってみようと思われるそんな人になって欲しいと願っています。

 勿論私の周囲には立派な僧侶もおられますし、また頭の下がるすばらしいお同行も知ってはいますが、それと反対の人達も多く目に映ります。真宗の僧侶はそれで良いのか。又同行に対しては、あんな事ではお寺参りいない方がいいとよく言われるのは、どうした所にその理由があるのでしょうか。

 思うに浄土真宗の悪人目当ての本願、凡夫そのままの救いという事を悪人という実感、あさましい凡夫という深い内省のないままに、他力の救いを聞いているから悪人正機も凡夫そのままの言葉も、ただ人ごとのように聞き流してしまうのです。ここに問題があると思います。私はかって学生時代に小山法城(こやまほうじよう)和上(わじよう)からこんな話を聞いた事があります。

 小山和上があるお寺に布教に行かれ、お話が終って部屋に帰って来られました。帰るなりお世話されるお婆さんに、

 「おい梅ぼし婆さん、早くお茶を持って来て来れ。」

と言われました。お婆さんはツンとして物を言われません。そこで声を大きくして、

 「おい、しわくちゃ婆ちゃん、早うお茶をくれ。」

と言われたら、このお婆さんが、

 「和上さん、人に物を頼むのに他に何か言い方がありませんか?」

そこで小山和上が、

 「あんた、私が梅干し婆さん、しわくちゃ婆さんと言ったので腹を立てているのかね。」

 「そら何ぼ年よりでも、そんな言い方されると、いい気持ちはしませんよ。」
そこで和上は、

 「そらおかしい。ワシは本堂であんた方に、もっともっとひどい悪口を言ったよ。地獄一定(じごくいちじょう)の泥凡夫(どろぼんぶ)、五障三従(ごしようさんしよう)の悪女人。こんなひどい悪口を言った時に、あんたちょっとも腹を立てず、有難そうにお念仏を称えておったではないか。そのあんたが梅干し婆さんしわくちゃ婆さんぐらいでおこるのは、どういう訳かね。」

と言われた時に、このお婆さんが、

 「和上さん、あれはお説教ですもの。」

と、言われたのであります。私は学生時分に聞いたこの話が今も鮮かに脳裡に残っています。私達はこんな聞き方をしてはいないでしょうか。悪人凡夫と言われてもお説教ではそう言われるげな、と聞き流して、本当に悪人凡夫の実感が無いままに他力の救いを聞いていく、ここに厳粛に人間としての行いを正し、念仏者としてのたしなみを忘れた我儘(わがまま)放縦(ほうじゅう)の生活に落ち入り,お寺参りするクセにという様な世間の批判を受ける事になるのでしょう。

 それを思う時に星原さんが、「お寺詣りは大切とは思いますが、私はお浄土に詣り仏になれそうにも思えません。それにはあまりに私の姿があさましい。」と言われた事は、まじめに自己をみつめ自己のあさましさに眼(まなこ)が向けられている。これは私には、尊い事と思われました。

 そこで私は、そこまで自身の姿が見えて来た事は素晴らしいと思いますが、それから先を良く聞いて下さい。浄土真宗、親鸞聖人のみ教えでは、そのあさましい事が少しも妨げにならないのですよ、そこの所をしっかり聞いて下さいねと言いながら、私は親鸞聖人が自力修行の道から、他力のお念仏の世界に転向して行かれた三願転入(さんがんてんにゅう)の足跡が頭に浮かんで来たのであります。その三願転入のみ跡を尋ねながら、他力念仏の世界を考えてみたいと思います。

二、三つの門をくぐりて

 親鸞聖人は20年間の比叡の御山に於ける自力修行による救いの道に見切りをつけ、六角堂の救世菩薩(くぜぼさつ)の夢のおつげの暗示によりて、吉水に法然上人を尋ね、上人の導きによって他力念仏に転入して行かれました。その事を自ら、「雑行(ぞうぎょう)をすてて本願(ほんがん)に帰す」(建仁(けんにん)元年、二十九才)と述べておられます。

即ちこれは凡夫自力の計いの不完全さに目覚め、完全なるみ仏の御計いにお任せする、という事であります。

 こうして聖人は自力より他力のお念仏に入られたのでありますが、又この他力に入る迄の足跡を反省されて、有名な三願転入の事を告白しておられます。その言葉に、

 “ここをもって愚禿釈(ぐとくしゃく)の鸞(らん)、論主(ろんじゅ)の解義(げぎ)を仰ぎ、宗師(しゅうし)の勧化(かんけ)によりて、久しく萬行諸善(まんぎょうしょぜん)の仮門(けもん)を出てて、永く双樹林下(そうじゅりんげ)の往生を離る。善本徳本(ぜんぽんとくほん)の真門(しんもん)に回入(えにゅう)してひとえに難思往生(なんじおうじよう)の心を発(おこ)しき、しかるに、いまことに方便の真門を出でて選択(せんじゃく)の願海(がんかい)に転入せり”

と述べられています。

 この心は第十九願の諸行往生の要門(ようもん)を離れて、第二十願の自力念仏の真門(しんもん)に入られたが、やがてこの真門を出でて第十八願の他力弘願(ぐがん)の門に転入した事を述べられたのであります。

 およそ阿弥陀仏の四十八の願、広く誓われたと申しましても、私達が阿弥陀仏の浄土に生るべき因法(いんぽう)を誓われてあるのは、第十九願と第二十願と第十八願であります。これを生因三願(しょういんさんがん)とよばれています。

 第十九願は諸行往生(しょぎょうおうじょう)の願と言われて、諸々の悪をやめ善を修めたものを浄土に迎うと誓われたのであります。

 第二十願は自力の念仏を励んだものを浄土に迎えると誓われました。

 第十八願は、ただ信ずるばかりで往生せしむると、他力の信心による救いを誓われたのであります。

 この第十九願は、諸行往生を説かれたのでありますが、これは悪を止(や)め自力の善根を励んで仏に近づいて行こうとするのです。それは仏様が私を救うと言われるのに何もしないではすまない。私は悪を止め善を励んで仏様の加勢(かせい)をしようと言う心持ちであります。

 第二十願は自力の念仏を説かれたのであります。自力念仏を励む人々の心は、善を修めようとしても修め切る事の出来ない自分、悪を止めようとしても止め切る事の出来ない自己の姿に目覚めた時に、この仏様に見離されたらもはや救いの道は絶たれる。だから仏様どうか私を見捨てず救うて下さいと、一処懸命お念仏を称えて仏にすがりついて行く気持ちであります。

 第十八願は、他力の信心を説かれたのであります。これは私が救いを求める前に、み仏の方から救われてくれよと呼びかけられてあった仏の呼び声を疑いなく素直に信じて、仏のお慈悲に安心してお任せした姿であります。

 親鸞聖人は52才の時、『教行信証』を書きながら過ぎし日の求道の跡を振り返って三願転入の足跡を述べられたのであります。すなわち20年の自力修行の求道の過程に於て、或時には悪を止め善を修めて、心を清くして仏に近づこうとした事もあった。又ある時には励めば励む程自分の浅ましさ愚かさが見えて来て、善根功徳(ぜんごんくどく)を修めて救われて行く道は、到底手の届かない高い教えである。よって一心不乱に念仏を称えつつ、仏の救いを求めてすがりつこうとした事もあった。更に幸せなるかな、救いを求める前に救われてくれよ、必ず救うとの仏の大悲が私にかけられてある事に目覚め、ただほれぼれと救いのみ手を仰ぐ一つであったと、安心されたのであります。これが親鸞聖人の三願転入による求道(ぐどう)の足跡でありました。

即ち廃悪修善(はいあくしゅぜん)の要門(ようもん)をくぐり,さらに自力念仏の真門を通り抜けて、他力信心の弘願(ぐがん)の門に到達されたのであります。この事について実例を引いて,他力念仏の世界を考え味わってみたいと思います。

三、大悲の中に

 数年前、先輩の書かれた書物の中にこうしたお話が書いてありました。それは終戦後まもなく、広島の少年のある施設に、数名の少年のスリ団が送られてきました。係の先生が一人一人面接しているうちに、一際(ひときわ)目鼻の整った良家の子弟と思われる少年が混じっていました。

 「君はどうしてこんなスリの仲間に入ったのか。君には両親がないのか。」
と、問われたら、少年がいかにもくやしそうに、

 「僕に両親があったら、こんなスリの仲間に入るものか。」  

と言いました。詳しく事情を聞かれると、この少年は広島でも一、二を数える大きな呉服問屋に生まれて両親の慈愛の中に、すくすく成長して来ましたが、幼稚園の頃だんだん空襲が激しくなり、遠く離れた田舎の親類に預けられました。広島に原爆が落ちたというニュースはたちまち拡がり、少年の耳に入りました。少年は幼い子どもながら両親の事が心配で心配で、泣く様に疎開先のおじさんに頼み、おじさんと共に広島に両親を捜しに出ました。夢中で捜し回っているうちに、おじさんとはぐれてしまったのです。

 日が暮れて来る、腹はすく、少年は道端で一人悲しく泣いている時、通りがかった男に助けられましたが、それは空巣専門の泥棒でした。少年は無理矢理に泥棒の手先に使われ泥棒が空巣に入っている時、外で見張りをさせられました。この男がやがて警察に捕まり少年は生きる為に浮浪児の群に入り、最初は駅等で客のスキを窺って荷物の持ち逃げなどしていましたが、いつとはなしにスリの仲間に入ったのです。

 この事情を聞かれた施設では、早速ラジオを通じて少年の親捜しが始められました。数日後、立派な服装をした中年婦人が訪ねて来られました。この婦人の顔半分には、痛ましい原爆の傷跡が残っていました。婦人は院長さんに会うと、この少年の母は私であります。主人は原爆で亡くなりましたが、私は危うく九死に一生を得て病院に運ばれました。ようやく退院を許されて田舎に子供を迎えに行きましたが、その時は行方不明になっていました。それから手を尽くして捜し回っているうちに昨日、ここにお世話になっている事をラジオで聞き、早速訪ねて参りました。院長さんは事情を聞き早速、係の先生に少年を連れて来るように言われました。廊下まで来た時先生が、

 「君、喜び給え。お母さんが生きておられたよ。今日は迎えに来られたから、さあ早く行って会いなさい。」

と言われました。ところが物心ついた幼い頃から無理矢理に泥棒の手先に引き込まれ、暗い醜い大人の世界だけを見て成長した少年には、もはや親と名乗る大人の言葉が素直に信じられないのです。

 「嘘だ、僕の両親は死んでしまったはず、大人は嘘を言う。僕をだまして連れ出そうとするのだろう。僕はだまされものか。」

と言って手を振り切って庭の方に走り去りました。婦人の顔には何とも言えない悲しい表情が走りました。院長さんは気の毒そうに、

 「ここに来る子どもは心が暗くひねくれていますから今はあなたの気持ちは解りませんが今暫(しばら)く待って下さい。そのうち必ず解る時が来ますから。」
この事を宗教の上から味わうと未だ全然宗教心の芽生えていない状態であります。そなたの苦しみ悩みを救うと立ち上がられたまことのみ仏があると教えられながら、神や仏があるものか、あるなら見せてみよとせせら笑っている姿こそ、母の迎えを受けながら反発して、振り切って逃げて行く少年の姿であります。

 翌日、またこの婦人が訪ねて見えました。昨日と変りそまつな服装をしてモンペまではいておられます。

 「院長先生、長い間捜し求めていた我が子がここにお世話になっていると知って、どうしても私は家で安閑としている事は出来ません。親子の名乗りは出来なくとも、よそ目ながらもあの子の面倒を見てやりとうございます。どうか私を雑役婦にでもお使いください。」

 この婦人の真心によって早速掃除婦に採用されました。ところが、婦人の顔半分には醜い原爆の焼け跡が残っています。少年達は婦人を見ると、あれはお化けだあんなお化けの顔を見るのもイヤだと、悪口雑言をあびせかけ、わざと便所などを汚していやがらせをして婦人を追い出そうとします。その先頭に立って騒いでいるのが我が子なのであります。

 これは宗教的にみますと、自分の教養学問を鼻にかけて自分には宗教なんか要るものか、又他の宗教から浄土真宗をけなし、愚かな者の教えであり、低級な宗教とグッと下の方に見下ろして悪口言っている姿であります。いかに悪口雑言あびせかけられても、ひたすら子どもの幸せを念じ黙々と尽くされる婦人の温かい心は、いつしか子供達に伝わって来ました。

 6ヵ月程経った頃子ども達は、だんだん婦人になつき、色々婦人の加勢をするようになりました。これは宗教的に申しますと、第十九願の世界に入った姿です。今迄宗教の悪口を言っていた人達が子どもを亡くし親に別れ、そうした人生の逆境を通して人生のはかなさ人間の弱さに気付き教えを聞いてみようかと入る第一歩が、第十九願の要門の世界です。仏様が私を救うと言われる、タダではすまない。だから仏様の加勢をして悪を止め善をおさめて仏に近づこうとする心。それは今迄婦人の悪口を言っていた少年が、婦人の温かい心に打たれて加勢をしようとする姿であります。

 婦人がここに来られて早くも一年過ぎました。この頃健康がすぐれないので、医者に行かれると、

 「あなたは若い頃から厳しい労働をした事がないでしょう。今の仕事はあなたに無理なんです。静養されないと取り返しのつかない事になりますよ。」
との事。 婦人は院長さんに話して休職を申し出られました。

 「そうですか。大変惜しい事ですが,健康の為とあっては止むを得ません。では今晩は別れの会食をしましょう。」

と、承諾されました。子ども達が食堂に入ると、いつもより倍以上のごちそうが並んでいます。やがて院長さんが立たれて、

 「長い間やさしくお世話下さったおばさんが健康上の理由でおやめになります。今夜はおばさんに感謝しながら,別れの会食をします。」

 今迄はしゃいでいた子ども達は一瞬、水を打ったように静まり、中には別れを惜しんで、すすり泣く声さえ聞えて来ます。会食が終り婦人は部屋に帰り休まれましたが、なかなか眠れません。たとえ親子の名乗りはできなくても、よそ目ながら世話した我が子を後に残していくかと思えば、胸が痛み目が冴えてきます。十二時過ぎノックして、三人の少年が入って来ました。

 「おばさん、僕達はおばさんの心も知らずおばさんを苦しめてごめんね。今三人で話したの。おばさんうちに帰っても水を汲んだり薪を割ったりしなければならないでしょう。よかったら僕達三人のうち誰か一人おばさんのうちに行って加勢して御恩返ししたいの。」

 婦人は、じゃあなた来て、と我が子を指された事はいうまでもありません。翌日少年は我が母を母とも知らず院長さんや友達に見送られて、婦人の家に連れられて行きました。

 婦人の家は、少年の想像する以上立派な家でお手伝いさんもいました。婦人は、  

 「あなたは今日からうちの家族の一人よ、明日からこの洋服、このカバン、この靴、はいて学校で一処懸命勉強するのよ、その他の事は何も心配しなくてもいいのよ。」

 少年は思わぬ幸福の中に楽しく学校に通っているうちに、ふと一つの不安が湧きました。もしこの婦人に飽きられて、

 「あんたもうよいから、もとの施設に帰りなさい。」

と言われたらどうしようかと思うと、何とか婦人に好かれよう好かれようと、いじらしく心を遣い努めるのです。この姿が母の目からみればさみしいのです。母の愛情を知らず母に甘える事を知らずして他人行儀につかえる姿がさみしく映ります。これを宗教的に見ますと、第十九願から二十願に入った姿です。

 はじめは仏の加勢しようと思い悪を止め善をおさめようと努めたが、いよいよその不可能な事を知った時、このみ仏に見放されたら救いの道は断たれる。一処懸命念仏を称えてみ仏にすがりついていく姿、これが第二十願の自力念仏の姿で、今の少年と同じ心境であります。

少年が婦人の家に来て6ヵ月の月日は流れました。たとえ母と名乗らなくとも、子どもを思う母の真心は、いつとはなく少年の心に伝わってきました。少年が一人いる時、恥ずかしそうにお母さん、と小声で呼んでみる様になりました。ある晩少年がトイレに行こうと目を覚ますと、婦人のフトンが一枚めくれていました。少年はごく自然に、

 「おかあさん、布団がめくれているよ。寒いでしょう。僕、着せてあげるよ。」

その声を聞いた時に婦人は、ガバッと起き上り少年を抱き寄せるなり、

 「あなたはお母さんと言ってくれましたね。おかあさんと解ってくれましたね。おかあさんはどんなに長い間、今日の日を待っていたでしょうか。」

と、涙と共に我が子を抱きしめ喜ばれました。これが第二十願から第十八願の他力念仏の世界に入った風光であります。ある時は仏なんかあるものかとひやかし、ある時は宗教なんか要るものかと言い、ある時は仏に近づこうと努め、ある時は仏の救いを求めてすがりついて行こうとしたけれども、私が仏を求める前に仏は私を求め続け給い、既に大悲の中にある事に目覚めた時に、ただおかげさまよと、温い大悲を仰ぐのみであります。これが他力信仰の世界であります。