
祖父の歎異抄
祖父の賞雅哲然は生涯に何冊か浄土真宗の本を残している。 輝くいのち、輝く讃歌、輝く言葉の3冊からなる「輝くシリーズ」と、 盲目になってからのインド旅行記。 そして、時事問題について言及している「私の問い」と、 僕が把握する範囲では5冊。 輝くシリーズは身内が褒めるのも恥ずかしいが、 実際素晴らしい本だと思う。 特に「輝くいのち」は一番素晴らしいものだと思う。 行信教校の先生方からいただいたお育てや、 自坊での布教で感じた問い、 また門徒さんより出された問いが大切に大切に書き記してある。 具体的には、 仏法を聞くのはなんでですか? お寺に参って何を聞くんですか? 教えを聞いたらどうなるんですか? 人間は、真面目に生きさえすれば、宗教を信じなくてもいいと思いますが?など、 真面目に浄土真宗と向き合った時に出てくる素朴な疑問を非常に丁寧に扱っている。 自分が住職になってからというもの、 読み返すことも増えてきた。 この「輝くいのち」は、祖父の三十三回忌の時に施本にした。 「輝く讃歌」は正信偈についての本だけれども、 どうも浄土真宗版wikipediaに

しあわせの哲学、その2
8割読んだところでメモ投稿。 間違いなく良書。 西先生は対話と分析という形でしか探り得ない問題系がある、と言ってから、 「私の人生にとってのしあわせ」について肉薄していこうとする。 その手順がとても丁寧なので嬉しい。 一度この先生のゼミを見てみたいな、と思うことでした。 この本で私たちの「しあわせ」に直結するキーワードとして、 物語 生の可能性 承認 自由 が、挙げられている。 特に「承認」の問題は今子育てをしている最中だからよくわかる。 娘が新しいことにチャレンジするとき、 初めての人と挨拶するとき、 とても果敢にできたりする時がある。 そんな時、その前後にはボディータッチが非常に増えているんである。 「失敗しても大丈夫。 誰かがギュッと抱きしめてくれる」 そんな思いがある時、子どもは臆せず新しい挑戦ができる。 そして、その自由から生まれてきた活動が新たな評価的承認につながる。 世界の手触りをそうして少しずつ覚えていく。 これ社会人もそうなのかな、って思ったりする。 自分が失敗しても会社が庇ってくれる、 ある程度のリカバリーはチームでできる。

しあわせの哲学、その1
大好きな100分で名著シリーズに出てたり、 妹と同じ高校出身だったりと、 何となく身近に感じている西研先生の新刊。 早速買ってみることにした。 「しあわせ」をとりあえず、 「人が元気に喜びを持って生きていく」と定義して、 そのための条件を読者と一緒に考えていく本。 人間はほかの霊長類、チンパンジーなんかと違っていて、 今ここ、だけではなくて、 言語の所有によって、未来や過去を持ってしまう、ということを挙げている。 そして人間が生き生きとするためには、 未来に可能性を持つということが大事だ、ということ。 これは本当によくわかる。 癌の告知をされた人が、 余命を迎えるより先に自死を選択するって話が法話でよく聞かれるけれど、 あれだって未来の可能性が亡くなったっていうことだ。 もうちょっとページをめくると、 「したい」と「できる」があってこそ、 人間は未来に豊かな展望を持った今を生きることができるという話。 ルソーはエミールの中で、欲望と実現可能性の均衡が取れている時、 人間はしあわせだと言っている。 これ、小欲知足につながる話だね。 いつかご法話で使