真宗通解:『十住毘婆沙論』
第二篇 本文
目次
第一篇 解題
第一章 題号
第二章 撰者
第三章 造意
第四章 組織
第五章 大意
第二篇 本文
第一章 易行道の試問
第二章 易行道の解答(その一 略答)
第三章 易行道の解答(その二 広答)
第一節 十方十仏の易行道
第一項 偈説
第二項 散説
一 概説
二 引証
三 各説
第三項 重頌
余義
一、無量明仏論
二、海徳如来論
第二節 一百七仏の易行道
余義
一、無量寿仏論
第三節 弥陀一仏の易行道
余義
一、弥陀仏偈論
二、現生不退論
三、称名報恩論
第四節 過去八仏の易行道
第五節 東方八仏の易行道
第六節 三世諸仏の易行道
第七節 諸大菩薩の易行道
以上
第一章 易行道の試問
【本文】
【一】問ひていはく、この阿惟越致の菩薩の初事は先に説くがごとし。阿惟越致地に至るには、もろもろの難行を行じ、久しくしてすなはち得べし。あるいは声聞・辟支仏地に堕す。もししからばこれ大衰患(すいげん)なり。『助道法』のなかに説くがごとし。
「もし声聞地、および辟支仏地に堕するは、
これを菩薩の死と名ずく。すなはち一切の利を失す。
もし地獄に堕するも、かくのごとき畏れを生ぜず。
もし二乗地に堕すれば、すなはち大怖畏となす。
地獄のなかに堕するも、畢竟じて仏に至ることを得。
もし二乗地に堕すれば、畢竟じて仏道を遮す。
仏みづから『経』(清浄毘尼方広経)のなかにおいて、かくの如き事を解説したまふ
人の寿(いのち)を貪るもの、首を斬らんとすればすなはち大きに畏るるがごとく、
菩薩もまたかくのごとし。もし声聞地、
および辟支仏地においては、大怖畏を生ずべし」と。
このゆゑに、もし諸仏の所説に、易行道にして疾く阿惟越致地に至ることを得る方便あらば、願はくばためにこれを説きたまへと。
【語句注釈】
・十住=菩薩の階位。十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚
・毘婆沙=広解。広く十地の位のことを解釈した書物という意。
・巻五=十五巻のうち、第5巻目が易行品。
・後秦=中国五胡十六国の一。(384-417)都は長安。鳩摩羅什は第二代国王姚興によって長安に迎えられた。
・『易行品』第九=『十住論』三十五品のうち第九品である。
・亀茲国=新疆ウイグル自治区天山山脈南麓のクチャ周辺にあった西域古国の一。鳩摩羅什の出身地。
・三蔵=経律論の三蔵に精通した僧侶の尊称。
・阿惟越致の菩薩=不退の位の菩薩。『十住毘婆沙論』では初地を不退とする。
・初事=初地不退に入る方法。
・先=「易行品」の前の「阿惟越致相品」の第八を指す。
・辟支仏=独覚、縁覚。師匠によらず独力で証悟する人。衰
・患=衰損憂患できがかりなことをいう。
・助道法=龍樹菩薩の『菩提資糧論』のこと。菩提を得るための資糧として、六波羅密等の行を説く。
・畢竟じて=ついに。
・遮す=さまたげる。
・方便=法用方便のことで、方法、手だて。
【文科】
これは『十住毘婆沙論』の第四『阿惟越致品』の説明を承けて、その阿惟越致品の位に入るべき修行に難易二道あることを問うた語である。
【通解】
【一】前の『阿惟越致品』までの四品において、修道者が初めて発心してから阿惟越致の位に至るまでの修行のことは詳しく説明したが、それにつけても、この不退の位にいたるものは諸々の難行を修めて、しかも永い時間を費やさねば入ることができないという有様を知ったであろう。そればかりでなくこの永い修行の間には、いつの間にやら大きな望みがなくなって、あるいは声聞の証りで満足するとか、辟支仏乗の証りで満足してしまうようになるのである。声聞乗の証りは、仏の言葉に囚われた概念の証りであり、辟支仏の証りは独りよがりの狭い証りであって、ひとたびここへ頭を突っ込むときは、なかなかその囚われから出ることができない。もしこうなったら非常な気懸かりである。取り返しのつかない病に罹ったようなものである。それで私は『菩提資糧論』のなかにこう言っておいた。
もし修道者が声聞の位の概念の証りや、辟支仏の位の自惚れの証に堕ちたならば
それは修道者が屍骸になったのと同じことであると言わねばならない。
こうなっては全くすべての尊いものを失ってしまったのである。
たとい地獄に堕ちるとしても、かような怖畏を懐く必要はないけれども
声聞・辟支仏の二乗の位に囚われることは、それこそ一大事である。
なぜなら地獄に堕ちたものは、その地獄の苦を厭うから、
また時節がくれば畢竟(さいご)に仏になることはできるけれども
二乗の位に囚われたものは、そこに落ち着いて全く仏になる道を遮ぐからである
それゆえ釈尊も『清浄毘尼方広経』の中にこう説いておられる。
寿命を惜しむ人間は、首を斬られることを畏れるが
それと同じように仏果を求める菩薩は二乗地に囚われることを畏れねばならない。
首を斬られれば命はない。二乗地に堕ちれば仏種を断ったものと云わねばならない。
難行道には、かように二乗へ堕ちる恐れがある。
それは全く死地を歩むのと同じである。炎々と燃え上がる火の上の綱渡りである。
それ故、もし仏説のなかに、易い修行によって、しかも速やかに不退転位に入ることのできる方便(てだて)があったら、聞きたいものである。難行の反対に易行であり、永い時間に反対して速やかにさとられる道、はたしてそれはどんな道であろうか。
第二章 易行道の解答 (その一 略答)
【本文】
【二】答えていはく、なんぢが所説のごときは、これ獰弱怯劣(にょうにゃくこうれつ)にして大心あることなし。これ丈夫志幹の言にあらず。なにをもってのゆゑに。もし人願を発して阿耨多羅三藐三菩提を求めんと欲して、いまだに阿惟越致を得ずば、その中間において身命を惜しまず、昼夜精進して頭燃(ずねん)を救(はら)ふがごとくすべし。『助道』のなかに説くがごとし。
「菩薩いまだ阿惟越致地に至ることを得ずば、
つねに勤務精進して、なほ頭燃を救(はら)ひ
重担を荷負するがごとくすべし。菩提を求めるためのゆゑに、
つねに勤精進して、懈怠の心を生ぜざるべし。
声聞乗・辟支仏乗を求むるものの如きは、
ただおのが利を成ぜんがためにするも、つねに勤精進すべし。
いかにいはんや菩薩のみづから度し、またかれを度せんとするにおいてをや。
この二乗の人よりも、億倍して精進すべし」と。
大乗を行ずるものには、仏かくのごとく説きたまへり。「願を発して仏道を求むるは三千大千世界を挙ぐるよりも重し」と。なんぢ、阿惟越致地はこの法はなはだ難(かた)し。久しくしてすなはち得べし。もし易行道にして疾く阿惟越致地に至ることを得るありやといふは、これすなはち怯弱(こうにやく)下劣の言なり。これ大人志幹の説にあらず。なんぢ、もしかならずこの方便を聞かんと欲せば、いままさにこれを説くべし。
【三】仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもって疾く阿惟越致に至るものあり。
【語句注釈】
・獰弱怯劣=根気(素質能力)の劣った弱々しいもの。
・大心=大菩提心のこと。
・丈夫志幹=雄々しく堅固な志をもつ者。
・阿耨多羅三藐三菩提=無上正遍知、無上正等覚。仏のさとりの智慧。仏の智慧は平等の真理を遍く知って、世にこの上なき尊い方であるから無上正遍知という。
・中間=初発心、はじめて仏法に志を起こしてから不退転地に至るまでの間。
・頭燃を救ふ=頭の上についた火を払い除く。
・助道=龍樹菩薩の『菩提資糧論』のこと。
・勤精進=修行に努め励むこと。
・重担を荷負する=重い荷物を背負う。
・懈怠の心=仏道修行をなまけ怠る心。
・三千大千世界=一世界、即ち日月、須弥山、四天下、四王天、三十三天、夜摩天、兜率天、楽変化天、他化自在天、梵世天を千個あわせたものを小千世界といい、小千世界を千個あわせて中千世界といい、中千世界を千個あわせたものを大千世界という。これを三千倍したもの。
・怯弱下劣の言=根気(素質能力)の劣った弱い者の言葉。
・大人志幹の説=堅固な志をもつすぐれた人の言葉。
・方便=宗祖は信方便と解しておられる。易行の体は称名念仏、信方便を易行とすることはやや不思議な感もするが、信と行は不離であるから信心易行も称名易行も変わらないのである。
・陸道の歩行=陸路を徒歩で行くことをいう。難行道を喩えていう。
・水道の乗船=水路を船に乗って渡ること。易行道を喩えていう。
・信方便易行=信心を方便(方途・道筋)とする易行。称名をさしていう。
【文科】
これ以下、この一品全体に渉って易行道のさまを答えるのである。そのうち今はまずあらかじめ大体について難行道と易行道を比較して、私どもがそれに堪えうるか否かを自ら顧みさしてくださるのである。
【通解】
【二】答う。今汝が尋ねたような易行道は卑怯な弱々しい者の望むところであって、大きな希望をを懐いてどこまでも果たし遂げようと志す大丈夫の言うべきことではない。何故ならば、もし人が志をたてて大覚(さとり)の新天地に入りたいと思いながら、まだその修行を積まないで不退転位に達し得ないならば、それに到りつくまで身も命も打ち捨てて、昼夜に精進策励すること、ちょうど頭の髪に火のついているのを払い消すほどの思いをもってしなければならない。このことはすでに私が『菩提資糧論』の中に説いておいたことである。即ち
真実の道を修めるものが、まだ不退転位に到りつくことができないならば、
宜しく常に勤め精進(はげ)んで、頭髪の燃ゆるのを払うがごとく
重い荷物を負うかのようにしなければならない。
真実の大覚(さとり)を求めるために力のありだけを出して 懈怠(おこた)ってはならない。
かの声聞乗や辟支仏乗の如きは、
我利一片の利己主義者で、大きな人間世界に対しては何等の顧慮もしないで、自分の利益だけ考え煩っている。そんな狭い心ものさえ、日夜に努力して休むことがない。
まして、大きな人類とか生物とか全体の解決問題を心に置いて真実の大覚を求め、
己のためにも他人の為にもなろうと志す者は、
声聞、辟支仏の人々の億倍の大努力をする必要がある」と。
また釈尊も、人類全体のことを自己の問題として捉え真実の大覚に入ろうとしているところの大乗の修行者に向かって次のように教えておられる。即ち『大宝積経』に曰わく、 大覚を求めたいという大きな志願を発したものは、宜しくこの宇宙全体を我が手で持ち上げるほどの覚悟をしてかからねばならない。汝ら衆生よ、不退の位に至る方法は甚だ困難である。一生や二生の修行で得られるものではない。殆ど人間の思考では考えられないほどの永い時間を要するからと。
それゆえ、もしこの難行道と違った易行道によって速やかに不退転位を得たいなどということは、臆病な者の言いぐさであって、意志堅固な大丈夫の言うべきことではない。けれども今それが聞きたいというならば、詳しく述べ聞かそう。
そこで、この易行道を聞く前に、まず自分の能力を考えて、自分は難行道に堪えられる機かどうかを深く考えなければならない。少しでも難行道に進みうるという自惚れが残っているようでは 、易行道を説くも無効であるから。
【三】 大覚の道には無量の門戸がある。しかし、これを大まかに分けてみると、ちょうどこの世の道路に苦しい陸路と楽な船路とがあるように、大覚に入る道にも二通りある。一つは自分の力で勤行精進してたどりゆく難行道である。いま一つは他力を信じる方便によってこのままここで、不退転位に入る道、それはちょうど順風に帆をあげて船を進めるごとき易行道である。
【余義】難易二道論
難易二道のことは、ここの【三】の文が根本の源である。先ずその二道の名(みよう)目(もく)について調べてみよう。
[字拠]
難易二道の名は『華厳経』により、義は『大経』によられた。『華厳経』にはこの喩えに似た文句がたくさんある。例えば『十地品』に、
譬ば大商主の、道の険と易を聞知して、安穏に大城に至るがごとし。
といい、『入法界品』に
世間明らかに険と易とを識らしむ
というが如きがこれである。険易と難易は同意であるから、龍樹菩薩は険易の語を難易として用いられたのである。
[義拠]
浄土の『大経』に義の拠(より)所(どころ)があるというのは、即ち『大経』下巻の、
「往きや易くして人なし」
の文である。『大経』は単に易行他力の教えを説いたものであるから、難行の方は言葉に表れていない。しかし、往き易い安楽国に生まれることが易行道ならば、その反対にこの娑婆世界で修行得証するのは困難であることも知られるわけである、龍樹菩薩はこの深(じん)意(い)を探(さぐ)って難易二道判を立てられたのである。
【二道判の内容】
龍樹菩薩はこの難行の理由について、大乗の諸々の修行は(1)永い時間を要することと、(2)二乗地に堕ちるという憂いがあるからであると云われている。(1)久しくして得べし、(2)或いは声聞辟支仏地に堕す。若ししからば是れ大衰患なり。まことに大乗の修行は三僧祇(そうぎ)百大劫(だいこう)という永い時間に、五十二段の階級を踏みゆくことで、その途中には声聞や辟支仏の二乗の証に心を紛れ込ます恐れがある、それで、余程心の丈夫なものでなくては、この修行を成就することはできない。この故に難行と云うのである。
【難行の行体】
難行の行体とは、菩薩の自力の修行である三学六度を指す。即ち、つづめれば持戒・禅定・智慧の三学、拡げれば布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六度、更に広くいえば万行諸善を指す。
【難行道の五難】
曇鸞大師は『浄土論註』になお一層この難行の有様を詳しく示して
「難行道とは、謂はく、五濁の世、無仏の時において阿毘跋致(阿惟越致と同じく不退の位)を求むるを難となす。この難に乃ち多(た)途(づ)あり。粗(ほぼ)五三をあげて以て此の義の意を示さん。(一)には外道の相善、菩薩の法を乱る。(二)には声聞の自利、大慈悲を障ふ。(三)に無顧の悪人、他の勝徳を破す。(四)には転倒の善果、能く梵行を壊す。(五)には自力にして他力の持(たも)つことなし」。
と述べられた。五濁の世、無仏の時に諸々の修行をしても(1)外道の修める相似の善に真実の善を紛れ込まされたり、(2)二乗の自利心に利他の大悲心を障えられたり、(3)わが身を顧みない悪人に勝れた徳を破られたり、(4)?倒の迷いより起こる浮世の栄華に清浄の修行を壊されたりすることが多い。つまりこれは(5)自力に執着して他力をたのまないからである。それゆえ難行というべきであると教えられた。
この二師の解釈を見ると、龍樹菩薩は修行する相、すなわち行相について難行の理由を挙げられ、曇鸞大師は修行する縁(ゆかり)、すなわち行縁について難行の理由を数えられたのである。すなわち菩薩は修行そのものの内容に含まれた困難の理由を挙げられ、大師は修行に対する外界の障碍を数えられたのである。内的困難、外的困難、つまるところ諸々の修行の困難なことは明らかである。
【易行】
易行道について龍樹菩薩は『易行品』に
「信方便の易行を以て疾く阿惟越致地に至る」。
と仰せられ、曇鸞大師は『浄土論註』に、
「易行道とは、謂はく、但信仏の因縁を以て浄土に願生すれば、仏の願力に乗じて便ち彼の清浄の土に往生することを得。仏力住持して即ち大乗正定の聚に住す。正定は即ちこれ阿毘跋致(あびばっち)なり」。
と、仰せられた。つまり、仏を信じ、その願力に乗じて、正定聚に入ることである。
【易行の行体】
この易行とは何を指すか。即ち行体は何かというと、称名念仏を指すのである。これは『易行品』に
「応に恭敬の心を持て執持して名号を称ふべし」。
若し人一心に其の名号を称すれば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を退かざることを得。
とか述べられたことによって明らかである。またこの称名念仏は単に口に称える称名ではなく、信心の上から称えるものであることは、「信方便の易行」という語によって明らかである。
【称名易行の理由】
称名が易行である理由について、法然聖人は『選択集』本願章に善導大師の『往生礼讃』と源信僧都の『往生要集』とを引いて
「難易の義とは、念仏は修し易し、諸行は修しがたし。このゆゑに『往生礼讃』にいはく、「問ひていはく、なんがゆゑぞ、観をなさしめずしてただちにもっぱら名字を称せ しむるは、なんの意(こころ)かあるや。答へていはく、すなはち衆生障(さわり)重く、境は細(こまか)く心は粗し。識(しき)?(あが)り神(じん)飛びて、観成就しがたきによるなり。ここをもって大聖悲憐して、ただちにもっぱら名字を称せよと勧めたまふ。まさしく称名の易きによるがゆゑに、相続してすなはち生ず。また『往生要集』に、「問ひていはく、一切の善業おのおの利益あり、おのおの往生を得。なんがゆゑぞただ念仏の一門を勧るや。答へていはく、いま念仏を勧むることは、これ余の種々の妙行を遮せんとにはあらず。ただこれ男女・貴賎、行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜず、これを修するに難(かた)からず、乃至、臨終に往生を願求するに、その便宜を得たるは念仏にはしかざればなり」と。ゆゑに知りぬ、念仏は易きがゆゑに一切に通ず」。 p1208
と。称名はいかなる時でも、いかなる処でも、またいかなる縁にあっても、男女貴賎ともに何の苦労もなく称えることができるから、易行というとの意である。以上、難行易行の大体である。宜しくわが身に引き当てて幾重にも念仏の尊さ易さを味あわねばならない。
三 二道褒貶論
ここに「汝が所説の如き、これ獰弱怯劣にして大心あることなく、これ丈夫志幹の言にあらざるなり」と言い、また「若し易行ありて疾く阿惟越致地に至るを得るといふものは、これ乃ち怯弱下劣の言なり、これ大人志幹の説にあらず」といって、易行道を尋ねたものを訶(しか)る意味が顕れている。しかし、龍樹菩薩の本心から云えば、むしろ難行を尋ねることを訶(しか)って、易行道を聞く者を褒められるべきである。なぜかというと、菩薩がこの『易行品』を造られた本意は、全く弥陀他力の易行を説いて私たちに広く信じさせるためである。
釈尊でさえ『大経』の会座において阿難尊者が質問を起こしたとき、弥陀他力を説くべき機会に至ったことを喜んで善哉善哉と褒められた。また『観経』の会座では、韋提希夫人が弥陀法を説き給えと願ったのに対して、釈尊は涼やかに微笑された。自分の云いたいと思うことを、他人が尋ねてくれたら、誰でも喜ぶのが当然である。にもかかわらず、龍樹菩薩はそれを叱責されている。けれどもこれが龍樹菩薩の懇切なる用意からきたものであって、これは味わえば味わうほど、菩薩がいかに弥陀他力の易行道を私たちに信じさせたいかという気持ちの強さを知るのである。もっともこの味わい方には古来の学者がいろいろ説を立てているが、もっとも要を得た説を述べて、各自の自省にそえようと思う。
私たちが他力易行の道を聞くについては、先ずそれを聞くべき準備がなくてはならない。器に物を容れるには、まず容れるべく器を吟味しておかなければならない。他力の大法を求めるには、あらかじめ求めるものの心それ自らを査(しら)べておく必要がある。即ち、自分は、真実に他力易行道を求めているかどうか。まだ他の道へも進める力があると思いながら、一時の気まぐれで易行道を聞くのではないか、どうか。二兎を追うもの一兎をも獲ない。
一方の道に対して、真実に見切りがつかなければ、他方の道へ真っ直ぐに進もうという覚悟は出てこない。龍樹菩薩が易行道を求めるものを貶めて、難行の行者を褒められるのはここにある。もし私たちが、難行の行者を褒められるのを聞いて、自分もそれに進もうかという心が動くようでは、まだ真実に難行道に見切りがついていないのである。
いかほど難行道が尊くとも、またその行者が雄々しくとも、それに心を動かされるようでは、まだまだ自分の値打ちが分かっていないのである。自己反省が足りないのである。難行道の尊さ、その行者の雄々しさを知るにつけ、なお自分の下劣臆病に泣くものでなくては、信に易行道に進みうることはできない。馬鹿と云われても、臆病と云われても、一分も頭の上がらぬ自己の値打ちに泣くものでなくては、弥陀他力の大行を頂くことはできない。真に人間味の悲痛-聖人でなく、賢人でなく、獣と同じ心を懐いている生きものの自覚-この悲痛に胸にさかるるものでなくては、易行の道にいることはできない。それを暗示せんがために、今、難行道の行者を褒めて、易行道の行者を貶められるのである。
第三章 易行道の解答 (その二 広答)
第一節 十方十仏の易行道
第一項 偈説
【本文】
【四】偈に説くがごとし
東方の善徳仏 南の栴檀徳仏
西の無量明仏 北方の相徳仏
東南の無憂徳 西南の宝施仏
西北の華徳仏 東北の三行仏
下方の明徳仏 上方の広衆徳
かくの如きもろもろの世尊、今現に十方にまします。
もし人疾く不退転地に至らんと欲せば
恭敬心をもって、執持して名号を称すべしと。
【語句注釈】
・偈=偈陀または伽陀。梵語ガートハ、頌と訳す。字数の定まった句をもって仏の徳の讃歎、あるいは法の道理を述べたもの。仏徳讃称、法理詠嘆の詩。
・西無量明仏=西方の無量明仏。阿弥陀仏と同じであるか否かについて古来両説がある。
・三行仏=異本には 「三乗行」とある。
・恭敬心=つつしんで尊敬する心。恭=へりくだる。敬=うやまう。執持=しっかりととりたもつこと。
【文科】 以下詳しく易行道を説くに当たり、まづ十方十仏の易行から述べられるのである。これが三段に分かれて、今は偈をもってその大意をあげられた。
【通解】
【四】前にいう生きものとしての淋しく痛ましい私たちが辿り行くべき唯一の道とは何を云うか簡単に偈をもって大要を示そう。
そもそも私たちの進むべき道の前には、既に進み得た方がたくさんある。進み得た方を予想しないでは、どれほど私たちの道がたよりなくさみしいことであろうか。けれども一度、我が行く果てには進み得た大覚の方々が、賑わしくお待ちになってくださることを思うとき、私たちの希望は生き、いのちの血が沸き返るのである。見よ、東方には善徳仏がまします、南には栴檀徳仏があらせられる、西の方には無量明仏、北の方には相徳仏、そのほか東南にも、西北にも、東北にも、下方にも、上方にも賑わしく現に榮と光とに充ちて、星と輝き、華と咲いておられる。
私たちが、もし速やかに不退転位に上り。無極の生命道に進もうと思うならば、まさに恭しく謙譲の心をもって、これらの諸仏道を信じ、その名号を称えてゆこう。これらの諸仏を信じ、その名号を称えるとは、とりもなおさず諸仏のよろこびにみちたまえる御こころにわけまい入ることであるからである。
【余義】
【二章前置論】
前に不退に至る道を説けという問いがあるから、直ちに阿弥陀仏の易行道を説かれてもよさそうなのに、何故十方十仏や一百七仏の易行を説かれるのか。これに二由ある。
(一)問うた者の質問のままを答えるため。質問は初地不退の位に至る易行道があったら聞かせてくれというのであり、往生の易行道などあるとは夢にも思わないでいる。そんな者に、突然往生浄土を説いたら、かえって問うた者の心が乱れる。それゆえまず、十方十仏章と百七仏章を挙げられたのである。
(二)問うた者を弥陀他力の易行道に誘い入れんがためである。菩薩の本意は、直ちに阿弥陀仏の易行を説いて往生即成仏の大果を得ることをあらわしたいのであるが、初めから突然大往生のことなど言えば肝を潰して驚き怪しむ。そこで、まず静かに諄々と次第を追って弥陀他力の易行に近づけようとしてくださるのである。
第二項 散説
一 概説
一「十住論の組織」
『易行品』一編の組織を示す前に、『十住論』三十五編の大体の組み立てを述べよう。そうすれば、『十住論』と、この『易行品』の関係がはっきりするであろう。
┌ 総述 ─────────────────序品第一
│ ┌ 所入の階位────── 入初地品等三品
├ 初地 ───┤ ┌ 釈願品第五
『十住論』─┤ 第二品以下 │ ┌ 難行┼ 菩提心品第六
三十五品 │ 第二十七品まで├ 能入の修行─┤ ├ 調伏品第七
│ │ │ └ 阿惟越致品第八
│ │ └ 易行─ 易行品第九
│ └──────────── 第十以下
└ 二地 第二十八品以下三十五品まで
これによって見るときは『十住論』の第二品以下に於いて菩薩の初歓喜地を述べるもの二十六品あるなか、第二第三第四の三品は所入の位、即ち歓喜地そのものの内容を説明したものであり、第五品以下は能入の修行、即ち歓喜地に入るための必要な修行のありさまを説明されたものである。そしてこの修行に自力難行と他力易行があるから、第九品『易行品』はまさしくその易行道を説き示されたものである。
二『易行品』の組織。
次に、その『易行品』の組織はどうなのか図示して細述すると、
┌ (一)易行道の質問
├ (二)易行道の解答(その一略答)
│ ┌偈説 ┌概説
│ ┌─十方十仏章 ───┼散説─┼引証
│ ├─一百七仏章 └重頌 └各説
│ ├─弥陀一仏章
└(三)易行道の解答(その二広答). ┼─過未八仏章
├─東方八仏章
├─三世諸仏章
└─諸大菩薩章
先ず最初の第一段に、菩薩が不退位に入る門に難行道があることを示し、こに道には種々の障害があるから、他に易行の道があれば教え給えと質問を起こし、その問いに答えて易行道を詳述されるのである。
その解答が第二第三の二段に分かれて、第二段は略答である。難行道は大人賢者の進むべき道であるが、易行道は小人愚者の辿るべき道であると貶(おとし)め、その易行道は信心の因縁を眼目とする由を暗示された。
第三段は、広く易行道の相を述べられるものであるが、これがまた七章に分かれている。まづ十方十仏の易行を明らかにし、第二に一百七仏の易行をあげ、第三に弥陀一仏の易行を示し、第四以下また余仏余菩薩の易行を出されるのである。
第五章 大意
一 大意の二義
まず、この大意ということには、二通りの意味がある。
一は文々句々を委しく解釈せず、略して文句の意をおおまかに解釈することを大意という。蓮如上人が金森の道西の請いにより、『正信偈』の文々句々を和げて、ざっと解釈を下し『正信偈大意』と名づけて授けられたことがある。この大意という意味の如きは、正しくその例である。
二は文々句々に拘わらず一部所詮の義理を概括して示すもの、即ち一部の書物の全体に通じた要領をひきつかんで示すものを大意という。古来この大意の意味を解釈して、嚢括始終(のうかつしじゅう)冠戴初後(かんたいしょご)と言っている。一部の始終を嚢括(ひっくるめる)して初めから後までの義理を冠戴(ぬきあげ)するというこころである。この例は、宗祖聖人が『教巻』に『大無量寿経』の大意を示して、
「この経の大意は、弥陀誓いを超発して広く法蔵を開き、凡小を哀れみて選んで功徳の宝を施すことを致す。釈迦世に出興して道教を光闡して群萌をすくひ、惠に真実の利を以てせんと欲してなり」。p135
と述べられた如きは、まさしくこれである。
ところで、今ここに『易行品』の大意は何であるかということを述べるときの大意は、いわゆる第二の意味であって、即ちこの『易行品』一部始終にわたって、一品全体が詮(あらわ)すところの義理を一口で云えばどうなるかということを尋ねるのである。
二 『易行品』の大意
一部の大意は阿弥陀仏の他力易行道を明かにすることにある。そもそも、題は一部の総標ともいって。書物の題号は多くその書全体の要領を標したものであるから、一部の書物の大意を知ろうとするには、まづ近くその書題を見るべきである。然るに、今の題号には『易行品』と云っておられる。それゆえ、この一部は難行道に対して易行道を詮(あらわ)すことを目的としている。ところで、この易行道には諸仏の易行道もあれば、阿弥陀仏の易行道もある。そのうち今は特に阿弥陀仏の易行を詮すことを大意とするのである。
三 『易行品』の帰趣 :理綱院講師の説
その前に、まず『易行品』の文勢を飲み込んでおく必要がある。大体この一品には十方十仏の易行以下、七章に分かって諸仏菩薩の易行を述べてあるが、その要をとっていえば、十方十仏章、一百七仏章、弥陀一仏章、余仏菩薩章の四章につづめることができる。然るに、この四章の文勢を窺うに、各章は弥陀一仏章を中心として設けられたことに気づかされる。これを理綱院講師(理綱院慧琳(1765年 - 1789年)は天台宗のいわゆる蓮華の三喩によって説明しておられる。
┌─十方十仏章・・・・・・・・・・為蓮故華─┐
├─一百七仏章・・・・・・・・・・華開蓮現─┼─ 蓮華三喩
├─弥陀一仏章・・・・・・・・・・華落蓮成─┘
└─余仏菩薩章
第一、十方十仏章は為蓮故華の義にあたる。華(はなびら)は蓮の実のために用意されたもので、華そのものだけでは何の用もないのである。然るに、華(はなびら)の開かぬ莟(つぼ)みころから、蓮の実のために華が用意されている。今もそれと同じように、十方十仏が易行を説かれるのは、その目的は弥陀一仏の易行を説き広めるためであった。即ち十方十仏の華(はなびら)は全く弥陀一仏の易行の蓮の実を含めるためであった。然るに、莟(つぼ)みのあいだは蓮の実があらわれないように、未だ誘引されるべきものの根機が整わないから、初めより弥陀一仏の蓮の実をあらわさず、十方十仏という華(はなびら)の莟みにふくめて示されたのがこの一章である。
第二、一百一仏章は華開蓮現の義にあたる。華開けば蓮の実おのずからあらわれるように、この章にきてようやく弥陀易行の義があらわれてくる。即ち前の十方十仏章には全く阿弥陀仏の御名さえ出ていないが、この章にきては、「阿弥陀仏等の仏」とか「阿弥陀等の諸仏」とかいって、一百七仏の名の最初にたびたび弥陀の名があらわれてきた。諸仏の華(はなびら)が開けて弥陀の蓮の実がだんだん現れてくるのである。
第三、弥陀一仏章は華落蓮成の義にあたる。華が全体すっかり落ち散ったところに、自然に独り蓮実があらわれるように、この章では諸仏易行を一口も云わず、専ら弥陀易行の蓮実をあらわすことに努めておられる。
このように窺うときは『易行品』一部の中には諸仏の易行が説いてあるけれども、本意を尋ねてみれば、一品の始終にただ弥陀一仏の易行を説くことを本意とするのである。そしてこの大意に据わって更に十方十仏章等を振り返ってみれば、十方十仏章も一百七仏章も、みなそのまま弥陀の易行を明らかにされた文ということができる。それゆえ、宗祖聖人は一百七仏章の文点までも変えて『行巻』にこれを引用し、以て一百七仏章も弥陀の易行を述べられたものに外ならないとの意を暗示されたのである。
四 『易行品』の帰趣:雲澍院講師の説
更に雲澍院講師(雲澍院 南条神興 1883年 - 1887年)は華厳宗の名目を借りて各章の順序を考えておられる。
十方十仏章・・・・本末平等門・・・・第十九願要門の位
一百七仏章・・・・本末差別門・・・・第二十願真門の位
弥陀一仏章・・・・摂末帰本門・・・・第十八弘願願の位
余仏菩薩章・・・・従本垂末門・・・・第二十二還相回向の相
第一、十方十仏章は本(弥陀)末(諸仏)平等の辺で、弥陀と諸仏と互角にして挙げられたから、ことさら弥陀仏を出されることなく、諸仏中に弥陀仏も含めておられるのである。これは第十九願において、諸行と念仏とを互角に誓われたのと同じ義門である。
第二、一百七仏章は本末の差別を立て、弥陀をもって諸仏中の上首としておられる。それで、この章では、一百七仏の第一に弥陀の名を挙げ、「阿弥陀仏等の仏」と云っておられる。これは第二十願において少善根の諸行に対し、多善根の念仏を勧められるのと同様の義門である。
第三、弥陀一仏章は末(諸仏)を摂めて本(弥陀)に帰せられたので、弥陀一仏のうちに諸仏を取り込んでしまわれたのである。これは第十八願において、万善万行を円備した念仏一行を誓われた義門にあたるのである。
第四、余仏菩薩章は、本(弥陀)より末(諸仏)を垂れる義について申されたので、阿弥陀仏が衆生済度のために種々の化仏を出されること等をいうのである。これは第二十二願還相回向の義門に相当する。
五 『易行品』の帰趣のまとめ
右の二説のうち、いづれによるも『易行品』諸章の中心は全く弥陀一仏章にあることが知られる。そして、この弥陀一仏章は阿弥陀仏の無量功徳である名号を信持して、現生に不退位に入り、命終して安楽界に入ることを喜ばれた菩薩の信仰の告白である。これ即ち『易行品』全部の始終に渉って輝いている精神である。