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輝くいのち/賞雅哲然

住職の祖父、賞雅哲然の「輝く三部作」の第1作目です。信仰をする上で生じてくる素朴で大切な疑問を通して、浄土真宗のみ教えを味わう書物です。住職と祖父の母校である行信教校の昔の先生方のエピソードも多く紹介されています。

目次

はじめに

 出版に寄せて/藤岡義昭
 はじめの言葉

第一章 三つの問い

私達は何故お寺に参り御話を聞かねばならないのでしょうか?
お寺に参詣して何を聞くのでしょうか?
聞けば私達の生き方はどうなるのでしょうか?

第二章 浄土真宗と他の宗教の違い目

 最近創価学会が非常な勢いで伸び、我々真宗門徒もこれに食われて行きます。この調子で進むと十年二十年後には、私達の浄土真宗はどうなるかと思うと心配でなりませんが、これについて先生は、どう考えられますか?

第三章 幸せを見る目

 先生、私達は真面目に働き真面目な生活をすればそれで充分なのでしょう。その上に何故、目に見えない仏様を信じ、その教えを聞かねばならないでしょうか?

第四章 人間の生きざま

 先生、宗教とはつまり倫理道徳を守る為にあるんでしょう。

第五章 心の支え

 仏教は三千年前に説かれた教えであり、真宗は七百年も前の教えでしょう。そんなに古い教えが現代人の心の支えになるのでしょうか?

第六章 お寺はなぜ必要でしょう

 信仰しなくても立派に生活している人が多い。別にお寺にお参りしなくても良いのではないか?

第七章 仏法がわかるとは

 先生、この間親しい方に、あなたもお寺にお参りしませんか?お寺には立派な先生が見えて良いお話がありますよ。と勧めましたら、坊さんの話し位は解っているから・・・こんな事を言われるのですよ。

第八章 浄土真宗の救いは現在か未来か

 先生、この間キリスト教の牧師さんに逢い、真宗とキリスト教は良く似ていますね、と言いましたら、キリスト教は現在の救いです。真宗は未来の救いです。と言われました。

第九章 無駄なき人生

先生、お念仏を通してみる人生には無駄は一つもありませんね。

第十章 真宗の現世利益(その一)

 先生、私は真宗の家に生まれ、今迄もよくお寺に参っております。それで死んだら阿弥陀様に助けられて御浄土に参らせて頂き、生きている間は神様からこの世の利益(りやく)を頂こうと、この様に思っておりますが、これでいいでしょうか?

第十一章 真宗の現世利益(その二)

 先生、私は真宗の家に生まれ、今迄もよくお寺に参っております。それで死んだら阿弥陀様に助けられて御浄土に参らせて頂き、生きている間は神様からこの世の利益(りやく)を頂こうと、この様に思っておりますが、これでいいでしょうか?

第十二章 光の中に

賞雅先生、あなたは親鸞聖人の教えに遇った喜びをどういう所で味わわれますか?そうですね、それは真実の心の親にめぐり遇った事でしょうね。

第十三章 命終われば

 先生、命終ればどうなるんでしょうか。
 さあ、あなたがたはどう考えますか?

第十四章 私と宗教のかかわり合い

 今日の昼席は公務の為に鹿児島市に出張してお参りする事が出来ませんでした。明日も出張しなければなりませんので総代の責任上、今晩お参りしなければならないと思い家を出ましたが途中で、私は役目の為に参るのか自分の為に参るのか?とそんな事をふと思いました。考えてみると御法義は自分の為であると思った時、家を出る時の気持ちが間違っていたと反省する事でした。

第十五章 生と死を考える

 賞雅先生、人間が死んで新しく次の世界へ生まれ変わっていく、そんな事は私達の知識では到底受け入れられません。そんな馬鹿な事が、と一笑に付すでしょう・・・・。けれども私達にはそんな世界がなくては到底救われませんね。

第十六章 救われる資格を恵まれて

 先生、真宗の教えは有難いですね。創価学会では朝晩長い御経を読まないといけないそうですが、真宗では何もせずこのままの他力の救いですからね。

第十七章 他力の風光

 先生、私はお寺詣りは大事と思います。お寺に詣っている時は世間のいろんな事に煩わされて腹を立てたり、愚痴を言ったりそんなあさましい心を忘れてきれいな心でいる事が出来ますから、けれども私はお浄土に参ってみ仏になれそうには思えません。それは私の心があまりにあさましいからです。

第十八章 信仰を求めて

 先生、何ぼ聞いても聞いてもお浄土に参れるという安心の信心がいただけません。どうしたら信心がいただけるのでしょうか。

あとがき

あとがき

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問題提起文

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